☆日比谷(合格者)2018年

都立日比谷高校(Kさん) ※推薦合格

つかめ、栄光!
目指すは、合格!
覚悟を決めろ、やってやる!
行くぞ!学志舎!ソイヤー!

1月の中旬から夜の第2教室では、決まってこの掛け声が聞こえてきました。ご近所の方はさぞかし何が起こったかと驚いたことでしょう。私は受験当日の朝も、小声でこの言葉を唱えていました。この言葉には学志舎での日々が詰まっているので、今でも私の中で大切なものになっています。

私は受験生活の中で多くことに支えられ、この春に日比谷高校という憧れの地で高校生活をスタートできることになりました。ですが、その中でも学志舎の存在は大きかったと思います。そこで、学志舎が私をどのように支えて下さったかについて書かせていただきます。稚拙な文章ですが、受験を控えている仲間、後輩の参考になれば幸いです。

学志舎が私を支えて下さったことについて考えたとき、「勉強」、「推薦特訓」、「言葉」の3つに分けることが出来ます。

「勉強」

まず「勉強」というと、そもそも推薦には必要ないのではないかと考える人がいますが、少なくとも私はそうでないと思います。推薦を受けるにも内申が必要になり、その為には定期テストへの勉強をしっかり行う必要があります。さらに学志舎では、志望校への学力が足りなければ推薦を推奨しません。それが学志舎で都立高校の合格者を多く輩出した要因になっている事を考えても、受験では勉強がかなり重要になってくることが分かります。その重要な勉強をしっかり行う為にも、学志舎は集中して勉強できる環境を提供して私を支えて下さいました。

学志舎に入る3年生の春になるまで、私は自習をほとんどしていませんでした。自習できなかったという方が適切かもしれません。以前所属していた塾では、話し声ばかりの自習室を小中学生がお菓子を食べる為に占領していることが多々ありました。授業でも相変わらずにぎやかで、わからない子に合わせて行う為、このままでは私の志望校には行けないと感じました。

そんな時、塾を探し始めた私は、1つだけ特異な塾に出会いました。それが学志舎です。筆記用具とコピー機の音しか聞こえない環境は、その当時の私にとって考えられないもので、鳥肌が立ったことを今でも鮮明に覚えています。その印象は強烈で、他の塾の体験に行ってもその授業が頭に入ってこない程でした。このような静かな環境だからこそ、私は入塾してから自習にも授業にも集中して取り組む事が出来たのだと思います。

さらにタイマーを多用する学志舎の授業によって時間感覚を身につけさせて下さったことも、試験中に問題を解くスピードが上がる事に繋がり、私の大きな武器になりました。そのおかげで、始めは日比谷高校の過去問でほとんど点数を取ることが出来なかった私でも、1月の模試では合格圏内の「安全圏まであと10点」というところまで学力を伸ばすことが出来ました。

「推薦特訓」

さて、ここまで「勉強」について長々と話してしまいましたが、やはり私の合格には「推薦特訓」は欠かせないものだったと思います。1月になるとプレ入試があり、その結果を基に希望者が推薦特訓を受けることが出来ます。推薦特訓では1月26日までの2週間、勉強をすることが出来ない為、学力が足りない場合は一般での合格が難しくなります。私は先ほども述べたような学志舎の環境のおかげもあり、布施塾長がおっしゃっていた合格最低ラインは超えることが出来たのですが、それでもギリギリでの合格となりそうでした。その為、推薦をすると決めたとき心の何処かに不安がありました。しかし、布施塾長や村岡先生の言葉を聞いているうちに、一般入試の事は一旦忘れようと割り切ることができ、さらに推薦で絶対に合格するんだという強い気持ちを持つことが出来ました。

いざ推薦特訓が始まってみると、私は多くの壁にぶつかることがありました。面接で自己PRが上手く出来なかったり、グループディスカッション(以下GD)で上手く発言出来なかったり等です。その度、悔しくて涙を流すこともありました。ですが、心が折れそうになっても、私は頑張り続けることが出来ました。なぜならいつも一人ではなかったからです。自分と同じ環境の中で、今まで共に頑張ってきた仲間が前向きに取り組んでいる姿を見る度に、私は勇気付けられ再度挑戦していくことが出来ました。また、何度もGDや面接練習を繰り返していくうちに少しずつ慣れることができ、最終的には自分らしく取り組めるようになりました。こうして私はそれらの壁を超えることができました。

受験当日、澄み渡る碧い空を見ながら幸せな気持ちで日比谷高校へ向かいました。その私の胸には緊張や不安というものはなく、ただ楽しみな思いしかありませんでした。憧れの日比谷高校の先生方がどのような事を質問してくださるのか、日比谷高校で一緒に3年間過ごす仲間に出会えるのか、とてもわくわくしていたからです。これは東京の中でも学志舎ほどGDや面接練習をしているところは無いというぐらいに練習をしてきたから、このような気持ちでいられたのだと思います。そして、いつものように自分らしく入試に取り組み、無事合格することができました。もし推薦特訓がなかったら緊張して落ち着いて取り組めなかったと思います。

「言葉」

最後に、ここまで私が努力する事が出来たのは、多くの「言葉」に支えられたからです。今まで多くの場面で、先輩方が私たち塾生に向けて様々な事を教えて下さいました。高校での楽しい生活、内申の取り方、自分が取り組んでいた勉強法、全て私にとって役立つことでした。実は推薦特訓の話では触れていませんでしたが、ここでも多くの言葉に支えられてきました。GDや面接練習で厳しいアドバイスを下さった先輩方の言葉は、いつも私を成長させてくださいました。また、先輩方が伝えて下さった言葉は、私が本番に自分らしく取り組む上で本当に参考になりました。先輩方の言葉だけではありません。共に頑張ってきた仲間たちの言葉の力もとても大きかったです。厳しい言葉もありましたが、お互いに励まし合ってきたその言葉は、私にとって前へ進む原動力でした。受験の待ち時間もお互いにメッセージを書き合ったノートを見て、自分に自信を持つことができました。

そして、先生の言葉の存在はやはり最も大きく、特に塾長との交換日記的な「119ノート」での言葉にはずっと支えられてきました。私はよく不安になってしまったり、自信を無くしてしまったりすることがありました。日比谷高校には絶対行きたい、でも学力が足りない、そう思って焦ることもありました。そんな時は、119ノートを見て、気持ちを切り替えて頑張っていました。119ノートに書かれている先生方の力強い言葉を見ると、自分の不安が小さく感じられて、絶対に日比谷生になるという思いで勉強に取り組むことができました。

さらに推薦特訓後は掛け声をかけて、毎晩気合いを込めていました。冒頭にある掛け声の言葉は、村岡先生が布施塾長のおっしゃっていたエピソードを基に考えた言葉です。皆で気合いを入れて頑張ってこられたのも、先生方の熱い言葉のおかげです。このように多くの言葉に支えられた事は、その言葉をかけてくれた人と知り合うことが出来たからであり、それは学志舎での出会いがなくては起こらなかったことだと思います。

「『一生忘れられない出会い』がここにある」

学志舎での出会いは本当に一生残るものです。その為、後輩にはぜひここでの多くの出会いを大切にしてほしいです。その出会いはきっと、自分の志望校に合格する上で大きな助けになります。

そして私は受験を控えた皆が今までしてきた努力が実るように、一緒に頑張ってきた仲間の一人としてずっと応援しています。約1年という短い時間でしたが、学志舎での経験は今まで過ごしてきた15年間の中で最も密度の濃い時間でした。多くの貴重な経験をさせて下さった学志舎に心から感謝しています。これからはここでの経験を私の心の糧としてこれからも頑張っていきつつ、私も尊敬する学志舎の先輩方のように、学志舎で後輩たちを応援に行きたいです。

都立日比谷高校(Oくん)

私が学志舎に入塾したのは、中学2年生の10月でした。当時の私は何もかも中途半端でした。学校のテストもそのうちの一つで、中途半端な勉強をして中途半端な点数を取るというサイクルを繰り返していました。提出物もいい加減で、先生方からもある意味、呆れられていたと思います。そんな中、ふとしたことから学志舎を知り、体験授業に行きました。一歩塾に足を踏み入れた時の衝撃は、今でも忘れません。雑談をする人は一人もおらず、挨拶と布施塾長が講義をする声が聞こえる以外は、何も聞こえない環境で、皆が一心不乱に学習している、そんな環境に出会ったのは生まれて初めてでした。私は、ここでなら今までの自分を変えられると実感し、入塾を決意しました。それから約1年、学志舎では非常に多くのことを学び、あこがれの高校に入学することができました。これから合格までの日々を振り返っていきたいと思います。

「先生が誠心誠意教えてくださる授業への感謝として、5をとりなさい。」

まず私が取り組んだのは内申を上げることです。塾長は常日頃から、内申を上げるコツを伝授して下さっていました。特に私が感銘を受けた言葉は、「先生が誠心誠意教えてくださる授業への感謝として、5をとりなさい。」という言葉です。この言葉から、先生への感謝の気持ちがより深まり、誠意をもって授業を受けられるようになりました。内申も入塾時の35から43まで+8上げることができました。

点数がなかなか伸びなかった国語と数学

次に学習面について、点数がなかなか伸びなかった国語と数学に絞って書いていきます。国語は、なかなか点数が安定しない科目といわれています。しかし、解説の際に塾長や村岡先生のチェックするところと同じところに着目できるような練習をしたり、指示語や接続語の差す内容を押さえる練習を繰り返したりしていくと、自然と点数が安定するようになっていきました。

数学は、私にとっての大きな課題でした。定期テストでも点数が悪く、私は数学が苦手だと心の中でそう思い込んでいました。しかし、塾長の「苦手なのではない。嫌いと決めつけて、自然と避けているだけだ。」という言葉を聞き、まず数学を好きになることから始めました。毎日必ず、学志舎特製のプリントを解きました。塾長の過去問解説も分かりやすく、数学がどんどん好きになっていきました。すると、見る見るうちに数学の点数が上がっていきました。内申も入塾時は3だったのが、最後は5にすることができました。

「的確な作文添削」

そして学志舎では、「的確な作文添削」を受けることができます。私は、これを多く活用しました。塾長や村岡先生は、問題のポイントや出題者の意図を汲んで、添削をしてくださいます。また、村岡先生からは英語で伝えたいことをより出題者に伝わりやすくする表現なども教わることができ、試験当日に大いに役立ちました。

ひたすら過去問を解き、添削を受ける

このような勉強をしてきた私ですが、最後の最後まで点数が上がらず苦労しました。模試の成績で、合格圏をとったことは2回しかありませんでした。しかも最後の模試の成績は、合格可能性が20%にも満たないものでした。塾長にも「一般入試での合格は少し厳しいと思う。」と言われていました。そんな中、受けた日比谷の推薦入試でも落ち、私は、どん底に突き落とされました。

しかし、この結果は同時に私の日比谷への思いを強めるものとなりました。それから私は、ひたすら過去問を解き、添削を受けるということを繰り返していきました。すると、受験日の2週間前、それまでは取れていなかったような数学の問題や国語の記述問題などの正答率が急激に上がったのを実感しました。そして、この良いモチベーションを保ったまま、合格まで駆け抜けることができました。合格発表の掲示板で自分の番号を見たときは、今までの人生の中で一番うれしく、そして同時に日比谷を諦めなくて良かったという気持ちがこみ上げてきました。

いつも布施塾長や村岡先生、一緒に努力してきた友達に励まされてきた

学志舎での学習の日々は、つらく苦しい時もありましたが、そんなとき、いつも布施塾長や村岡先生、一緒に努力してきた友達に励まされてきたように思います。「布施塾長との交換ノートである119ノート」では強い言葉をたくさんいただきました。

「闘志を燃やせ、不可能はない!」

「日本一の高校を目指すにふさわしい気概で突き進め!」

「日比谷に行きたいという強い気持ちがあれば必ず受かる!」

どの言葉も私にとって大きな宝物です。

そして学志舎の友達からもらった言葉、一緒に多くの時間を共にしただけあって、絆は学志舎を卒業した今でも強固なものとして残っています。一般入試の前日、推薦で合格した人も、そうでない人も一緒になって励ましあったことは一生忘れないでしょう。入試前に書いてもらった寄せ書きは今でも自分の机の上に飾ってあります。

学志舎で私は変わることができました。

学志舎で私は変わることができました。学習面はもちろんのこと、精神面でも人のためになることをしようと思える人間に成長出来たのです。これはひとえに、布施塾長、村岡先生、友達そして両親のおかげだと思います。本当に感謝したいです。これからも、この恩を忘れず、学志舎卒業生の一員として、人のためになれる人間を目指して頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。

<後輩たちへ>

学志舎で学んでいることに対して感謝の気持ちを忘れないでください。そして何があっても諦めないでください。本気で志望校に合格したいと心の底から思っていれば行動も結果も付いてくるはずです。自分を信じて頑張れ!