☆武蔵野北(合格者)2020年

都立武蔵野北高校(Hさん)

私が入塾したのは、中学2年生の終わりです。受験期が近くなってきて、塾をどうしようと悩んでいた時、母がネットで見つけてくれたのが学志舎でした。私は家が学志舎から離れていたので、正直迷っていました。しかし、体験で学志舎に訪れた時、塾生の勉強に対する姿勢、集中力、そしてアツい先生方を目の当たりにして、ここで本気で頑張りたいと思い、入塾を決意しました。

今まで生きてきた中で、こんなに勉強したことがなかった

私が入塾した時は内申が41ありましたが、3年生になり勉強の内容が難しくなり、テストの点数も思うように取れなくなり、3年生1学期の内申は39まで落ちました。学志舎の授業にも実際のところ、ついていけてなかったところがあったのでとても焦りました。そんな中、夏期講習に入り、毎日9時から20時まで勉強していく日々が続いていきました。今まで生きてきた中で、こんなに勉強したことがなかったのでこの1ヶ月強が私の中での自信につながっていきました。それと同時に2学期に絶対内申を取り返すぞという強い気持ちを持つことができました。

塾に行ったら必ず頑張っている友達がいたので、その姿を見て頑張ろうと思うことができました

夏期講習が終わり、再び学校の生活が始まりました。内申を上げる最後のチャンスだったので、布施先生がおっしゃっていたことを必死にやっていきました。勉強面でも少しでも長く塾で勉強できるように学校から家に帰ってきたら滞在時間5分も経たないうちに塾に向かっていました。とても苦しいものでしたが、塾に行ったら必ず頑張っている友達がいたので、その姿を見て頑張ろうと思うことができました。また、学志舎では卒塾生が来てくれてアドバイスや激励をしてくれます。私たちと同じ思いを体験してきた先輩だから言える言葉、生の学校の様子、勉強面でのアドバイスをしてくれて、それが私にとって大きな励みになりました。そうして、少しずつ努力を積み重ねていったことで、内申では念願の実技がオール5、素内申42まで上げることができました。

「人と違う結果が欲しいなら、人と違うことをするしかない。」

私は、布施先生の「人と違う結果が欲しいなら、人と違うことをするしかない。」という言葉がとても印象に残っています。私は、特別頭がいいわけでもないので、人一倍努力しないと勝てないことを私に気づかせてくれました。この言葉があったから、もっとできる、もっと上へと自分を鼓舞し続けられたのだと思います。また、村岡先生の「学力は、螺旋階段のように上がっていく」という言葉に支えられました。私は、10月から12月の模試の結果が思うように行かなくて、志望校の合格ラインは410点にも関わらず、350点辺りを彷徨っていました。そんな時、このような言葉をかけていただきました。自分ではまた逆戻りしたと思う時があるかもしれないけれど、実は必ず前より高い位置にいるという意味です。苦しい3ヶ月でしたが、必ず学力は上がっていると信じて頑張れました。 合格した時、今まで頑張ってきて本当に良かったと安堵と喜びに包まれました。私自身、学志舎という素晴らしい環境で頑張ってこられたのは、いつもアツい言葉で励まし、私を信じてくださった先生方、共に切磋琢磨し、合格、合格と口癖のようにいっていた大切な友達、そして、送り迎えやお弁当を作ってくれた家族の存在があったからです。本当に感謝しかありません、ありがとうございました。この、充実した1年間は一生忘れません。学志舎で頑張ったことを胸に、高校生活、またその先の人生を歩んでいきます。

都立武蔵野北高校(Uさん)

私は小6の3月に学志舎に入塾しました。それまでは都立中受験のために大手の塾に通っていましたが、勉強に身が入らず、残念な結果になってしまいました。そんな時、友達が学志舎に通っていることがきっかけで学志舎に出会いました。体験授業の日。学志舎に入った瞬間、目に飛び込んだのは、私と同じ学年の子たちが黙々と授業に集中している姿でした。それは、授業中に話している子が多い大手塾に通っていた私にとっては信じられない光景でした。帰るとき、母に他の塾も体験するかと聞かれましたが、私は即座に「しない。学志舎にする。」と答えました。 中1の初めの頃はスピードの早い授業になんとかついていけましたが、勉強内容が難しくなるにつれて授業についていけなくなっていきました。そして、中3になる直前、難関クラスに所属していた私は、応用クラスに変更しようと布施先生と村岡先生に相談しました。すると、私の志望校を聞いた先生方は難関クラスの継続を勧めてくださり、私は難関クラスに継続して所属することにしました。

分からない問題について何度も質問に行き、その日のうちに理解する

中3になり、学志舎の授業のスピードについていけないことも何度かありましたが、自習の時間に補い、また定期テストもこれまで以上に勉強したことで内申が41と自己最高となりました。夏期講習は朝8時~夜22時までほとんど休みなく勉強しました。私は演劇部に所属していたため、7月は午前に部活、午後から授業に参加という形となり、この時期は夜22時まで自習をしていました。夏期講習では主に共通問題の過去問を解いていましたが、結果は散々なものでした。そのため分からない問題について何度も質問に行き、その日のうちに理解をしてきた結果、8月末の模試の結果は7月から偏差値が12upし66になりました。 9月になり、自校作成問題を解き始めると、解説を読んでも分からない問題ばかりで理解に時間がかかりました。それでも、一つ一つ理解してから次に進むようにし、10月の自校作成模試ではさらに良い成績となりました。しかし、11月の期末テストの1日目に体調を崩し、テストを受けることが出来ず、このときから調子が崩れていきました。なんとか内申は1学期からキープできたものの、12月の自校作成模試では偏差値が10以上下がってしまいました。そして冬期講習を迎え、都立新宿高校の過去問を解き始めました。ここで数学が解けるようになりましたが、一方で英語の点数は思うように上がりませんでした。何度も何度も速読プリントを繰り返しましたが、新宿高校の英文の内容が合わず、不安ばかりが募っていきました。

「これからが勝負だ。絶対合格するぞ!」

英語が解けないまま冬期講習が終わり、母から武蔵野北高校の推薦入試を勧められ、私もその方が良いと思い、武蔵野北高校の推薦入試を受けることしました。このことを布施先生と村岡先生に伝えると、「やるからには勝とう」と背中を押してくださいました。それからの2週間はあっという間に過ぎていきました。先生方や多くの先輩方が的確なアドバイスをくださり、たくさんのことを学ぶことが出来ました。推薦入試は不合格となってしまいましたが、その後、布施先生から「これからが勝負だ。絶対合格するぞ!」という言葉をいただき、そこからの約1ヶ月間、不合格だったことを引きずることなく勉強することが出来ました。

頑張ってきたことを誇りに思っていい

そして迎えた当日、国語と数学はうまくいきましたが、英語は最後の3問が解けませんでした。昼休みに気を取り直し午後に社会と理科を解きましが、この2教科が私の不安な気持ちに追い討ちをかけるように解けませんでした。沈んだ気持ちで家に帰り、布施先生に「やらない方がいい」と言われていた自己採点をしました。すると、理科と社会がこれまでにないほど悪い点数でとても他の教科で補えるような点数ではありませんでした。この点数を目の当たりにした私はもう受からないだろうと思い、その状態で学志舎に向かいました。そして、私は布施先生と話している間に号泣してしまいました。すると布施先生は、「まだ不合格って決まったわけじゃないよ。信じて待とう。頑張ってきたことを誇りに思っていいよ。それだけのことをやってきたのをずっと僕は見ていたから。」と温かい言葉をかけてくださいました。それからの9日間、何度も私立のHPを開いては不安に駆られていました。

勉強だけでなく、挨拶や人生のことなど社会に出ても役立つことも学ぶことができました

そして合格発表の日、武蔵野北高校はHPでも公開されるため、私は自分の部屋で一人、武蔵野北高校のHPを開きました。合格発表のページを開いてすぐに目に入ってきたのは自分の受験番号でした。初めは信じられず、二度見してしまうほど驚きました。私が合格できたのは、布施先生や村岡先生、家族のみんなの支えによるものだと思います。そして学志舎では、勉強だけでなく、挨拶や人生のことなど社会に出ても役立つことも学ぶことができました。本当にありがとうございました。 【後輩の皆さんへ 】 授業についていけなかったり、他の子が出来ているのに自分は出来ないと感じ不安になることもあると思います。でも、一つ一つ理解していけば、前の自分よりも確実に成長しているはずです。志望校合格に向けて頑張ってください!

都立武蔵野北高校(Hさん)

私が学志舎に入塾したのは中学2年生の11月でした。私は中学受験をしていて小学生のころからたくさん勉強をしていたので、中学の授業にはついていけていました。しかし部活が忙しく、勉強がおろそかになっていたため、テストの点数が落ちてきていました。そして期末テストを前に焦りを感じていた私は「塾に入りたい」と思うようになりました。それから様々な塾の体験に行きましたが、一番成長できるだろうと思い、学志舎に決めました。私は難関クラスの体験をしましたが、そこで「終わりました。」という声を聞き、私は周りの人の解くスピードに圧倒されました。はじめは「私にはレベルが高すぎる」と思いましたが、自分に甘い私にはこのような環境のほうがいいのだろうと思いました。また体験後の面談で村岡先生が「とても姿勢がよかったよ」と言って下さり、ここの先生はしっかり生徒のことを見ていると思ったため、入塾を決めました。

「自習」だったからこそ、自分だけで工夫して勉強する習慣ができた

テスト期間だったため、入塾してはじめての授業は自習でした。他の塾ではテスト期間中はテスト対策用の特別授業を行っているところもたくさんあります。しかし、そのようなことをせず「自習」だったからこそ、自分だけで工夫して勉強する習慣ができたのだと思います。3年生になって、自習の日でも集中して勉強することができたのはこの「習慣」のおかげだったと思います。

「悔しさをバネにすることができた」

私が武蔵野北高校に合格できた、1つの大きな要因は「悔しさをバネにすることができた」ところにあると思います。私は今まで何度も挫折を味わってきました。自分から学校の先生に話しかけにいったり、テストでいい点をとっても内申が3年生の1学期から2学期で1つも上がりませんでした。本当に悔しくて泣いてしまう日もありました。しかし、内申を布施先生に見せた時、布施先生が「あんなにテストの点数がよかったのに?おかしい!」と怒って「合格して先生たちを見返そう。悔しさをぶつけろ!」と言って下さいました。その言葉を聞いて私は、やってやるという気持ちになりました。私が武蔵野北高校に合格することは、学校の先生たちを見返したいという思いでもあったのです。

過去問と社会の小テストのプリントを何度も解き直しました

内申が足りない分、当日点で挽回しようと私は毎日塾に通いました。布施先生が「新しい問題を解く必要はない。今までやってきたことを繰り返しやろう。」とおっしゃっていたので、言われた通りに私は過去問と社会の小テストのプリントを何度も解き直しました。内申が決まったあとは学校の授業中も問題を解いていました。このような努力によって私は5科偏差値69をキープし、常に安全圏にいることができました。

協力して下さる方たちが最強でした

冬期講習が終わり、体力もついた私は推薦に挑戦することにしました。推薦練習の2週間はとても濃いものでした。まず協力して下さる方たちが最強でした。プロ中のプロである村岡先生をはじめ、本当にたくさんのOB,OGが私たちにつきっきりでサポートして下さいました。ときには10人以上の先輩が来て下さり、的確なアドバイスをして下さいました。これは学志舎だからこそ、このような環境がつくりだせたのだと思います。私は手伝って下さる先輩たちに応えるためにも全力で練習に取り組みました。しかし集団討論で意見が全然言えなかったり、面接でつまずいたときは落ち込みました。そんなとき自分が武蔵野北高校の制服を着て登校しているところを想像し、気持ちを奮い立たせるようにしました。心から武蔵野北高校にいきたい!と思っていたから、この想像を実現できるよう、私は力をつくしました。

集団討論の質を高める言動をできるよう心がけました

推薦期間中の村岡先生の言葉で一番印象に残っているのは「集団討論では全員で受かる気で臨め!」です。私はそれから集団討論の質を高める言動をできるよう心がけました。学志舎で教わった「3つのこと」を実行することで他の人が意見を言いやすい雰囲気を出すことができます。このように私はこの怒涛の2週間で学力だけでなく、人間性も高めることができました。

受験期間中に一番成長することができた

推薦で結果はでませんでしたが、合否以上に先生や先輩から一生使えるものを教えていただきました。受験期間中に一番成長することができたのが、夏期講習でも冬期講習でもなく、この推薦練習中と言っても過言ではありません。もし一般で十分受かる見込みがあるのなら、推薦を受けた方がいいと思います。 最後に。私は、学校に行くときも塾に行くときも常に武蔵野北高校のパンフレットを持ち歩いていました。なぜなら私は武蔵野北高校を愛していたからです。自分が志望校を本気で愛することができたら、きっと合格できます。学志舎で勉強できていることを誇りに、自分を信じて頑張って下さい!