山田先生

山田先生

幼少期

親や親戚によると比較的落ち着いた子どもだったとのこと。三鷹市の若葉幼稚園に通い、武蔵境で水泳を習っていた。

小学生時代

三鷹市立南浦小学校に入学。入学後間もない朝礼で新入生代表として全校生徒を前に作文を発表することに。小1にして見知らぬ大勢の前で発表することは当時の自分にとっては一つの試練だった。クラスの代表委員なども経験。小学4年生から学校のサッカークラブ南浦FCに加入し、練習や合宿を楽しんだ。小学5年生の時に中学受験を検討し、大手進学塾に入塾。クラスが順調に上がり一定の通塾効果は実感できたものの、宿題に追われて家族や友人との時間が取れなくなったことから小学6年生進級時に退塾。

中学生時代

三鷹市立第一中学校に入学。サッカー部に入部。テスト期間以外は毎日練習があり、休みの日もほとんどの時間で活動していた。1学年上の先輩が都大会優勝の強豪チームであり、身体的・精神的に鍛えられた。また部活動での激しいメンバー争いの中で「原因を客観的に分析し、自分のよくなかった部分の改善に取り組まずして自己の成長はない」と気づくことができたのは部活動通じて得られた一つの財産。

学志舎との出会い

中学3年になり受験を意識して塾探しを始めたところ、母が自宅ポストにチラシが入っていた学志舎を勧めてくれたことから6月頃に体験授業へ。他塾の体験授業も受けていたが、布施塾長との握手から伝わってくる熱量に感銘を受け入塾を即決。入塾前は自宅から最も近い都立高校しか知らず、そこに合格できればいいと思っていた。さらに宿題以外の勉強はほぼしておらず勉強時間はゼロに近かった。しかし、入塾後は気づいたら席は塾長の文字通り目の前となっており、クラス授業でありながらマンツーマン同然の状態だった。毎日塾に到着するとその日の課題を塾長と一緒に決定。疑問点は即時質問しその場で解消。座ったまま手を伸ばせば届く距離で添削を依頼、その場で速攻フィードバックというこの上ない環境で勉強に集中することができた。勉強のみならず、塾長の生き様や経験談、「アメフト観戦」や「リクルート本社訪問&役員との懇談会」などの課外学習を通して自分の世界が広がり、都立西高校が第一志望校に。1学年上で同じ中学で学志舎から都立国立高校に合格した先輩に憧れ、他の塾生と切磋琢磨し、毎日16:00~23:00学志舎で必死に勉強。結果、模試偏差値は5科73まで上げることができ、一般入試で「都立西高校」合格を勝ち取る。学志舎からの「都立西高校」初挑戦者であり、初の合格者となった。学志舎での受験生活を通し、本気で物事に取り組むときの「物差し(頑張りの基準)」を得ることができた。

高校生時代

勉強や部活動、行事など学校生活すべてに関心があったが、するべきことに優先順位を付けられず自分を見失い挫折を味わった。一方でこの挫折から物事がうまくいかない時の進め方や取捨選択の必要性を学んだ。

大学生時代

どの分野においても重要となるマーケティングやマネジメントについて勉強したいと考え、商学部に入学。電子商取引や知的財産権をテーマとしたゼミナールに入り、法的観点からの考え方を培った。主に著作権を研究対象とし、マーケティングやマネジメントの分野と合わせて、音源ビジネスについて論文の制作にあたった。学志舎ではアルバイト講師として小5クラス(算・国・理・社)、中2難関クラス(数・理)、中2応用クラス(英・社・国)の授業を担当。さらに授業解説のオリジナルプリントや自校作成校の過去問(数学)の分析資料を作成。小学生の作文添削、中3受験生の個別質問対応(過去問・模試)も経験。塾長から「どの塾でも即戦力として採用したいと思われるレベルまで成長したね」とお褒めの言葉を頂戴する。

学志舎に入社

就職活動では村岡教室長の個別サポートを受け、複数の大手企業から内定を頂く。しかし、塾長と初めて握手を交わした時より心を揺さぶられる出会いはなかった。その旨を塾長と村岡教室長に相談したところ、「一緒にやろう!」と入社のご提案を頂く。学志舎の塾生たちに教える楽しさとやりがい、充実感。分からない問題が解けるようになった時の塾生たちの笑顔や感謝の言葉。自分の授業を通じて成長する姿を目の当たりにできる喜びを日々感じており、また自分の「論理的に問題解決にあたる能力」やこれまでの経験を活かせる場は学志舎以外にないと考え、その場で入社を承諾。2022年4月より現職。