☆ 新宿(親御様)2018年

都立新宿高校(大原様)

図1

学志舎の門を叩いたのは、息子が中3の6月末。それまではほとんど塾には行かず、通信教育と家庭教師ぐらいで、のんびりと過ごしていました。小学校受験をしていまの附属に入り、中学もエスカレーター式でそのまま、高校も附属高校に内部進学で上がるのだろうと思っていました。小学校時代は優秀なほうでしたが、中3の4月に行われた校内テストで信じられない順位をもらってしまい、本人もかなりショックを受け、このままではいけない、勉強に真剣に向き合って精進できる場がこの子には必要だと強く感じました。今の窮地を救ってくれるところはないかそんなすがるような思いでネットを調べていたら、一瞬にして学志舎のサイトが目に飛び込んできました。

 

早速次の日には面談、塾長にお会いして、まず驚いたのは、後ろで勉強をする塾生達の姿。誰一人身体も動かさず、ただひたすら勉学に励む姿。この様子を見て息子もここなら自分を変えることが出来るかもしれないと決心したようです。そして塾長のお人柄にも惹かれました。息子の現在の成績よりも、学校で生徒会副会長を務めていた事や担任の先生からのコメントなどを褒めてくださり、他塾とは見る観点が違う事に驚かされました。

 

そうして翌日からは学志舎生となり、毎日ずっと勉強し続ける日々となりました。もちろん最初の頃は慣れないので苦労の連続だったようですが、眠気対策、冷房の冷え対策、集中力の持続対策、少しずつ自分なりに克服していったようです。塾から帰るなり、自分の振り返りをきちっと毎日していたのは偉いなと思います。今日の悪かったところは明日にはちゃんと改善する、その向上心はすごいものがありました。こんなに息子が前向きにがむしゃらになれたのは、塾長のお力以外のなにものでもありません。この塾と出会えて、本当に良かったと心から思います。

 

ずっと直向きに頑張っていましたが、始めの頃は志望校への憧れを周りの人ほど強く持てない事、後半は学校の友達の多くが内部進学希望者なので、長年の友との別れに悩み苦しんでいたようです。模試の結果もそんな気持ちに比例して、最初は良かったものの、その後下がりぎみになり、それで益々焦りか募り、そんな中で1月を迎えてしまいました。最後の模試を終えて、塾長から志望校を変更して、新宿高校で行こう!とお声掛け頂いた時も、本人の気持ちが一番だから親は口を出すべきではないと思いました。本人が納得して変更したのであれば、もう迷う事なく突き進む!そんな強いこころを育ててくださったのも、学志舎の仲間と塾長と村岡先生のおかげです。

 

結果、新宿高校に合格する事が出来ました。いまは、ご縁のあった学校が息子に一番合っていると思えるようになりました。そして、ここで培った勉学に励む力は、きっと次なる大学受験に活かされる日が来ることを切に願っています。いままで、息子を支えてくださった大勢の方々、卒塾生・学志舎の仲間・村岡先生・布施塾長に心から御礼申し上げます。

都立新宿高校(今井様)

母2

学志舎との出会いは小6の秋でした。学校の宿題以外は何も勉強らしいことをせず、1学期の通信簿の算数の欄から「よくできる」がゼロになっておりました。これでは中学の数学は「3」かな。そんな折り、バスの窓から学志舎を見かけ、興味を持ちました。学志舎を選んだ理由は、私の祖父が戦前戦後、静岡県で私塾を営んでいたときいており、その面影が学志舎と重なっていたためです。江戸時代の寺子屋や、吉田松陰の開いた松下村塾は私の塾への理想像でした。しかし体験授業時に来たものの、息子は自分から塾に入る気は全くありませんでした。おまけに計算は遅く、勉強への意欲の低さもあり、「うちの塾のペースにはついてこられそうもないので」と入塾を断られました。えっ?!入塾に不合格なんてあるの??まさか!

 

しかし、このように塾生の仲間にも入れてもらえなかった息子が、3年半後に新宿高校に合格することができました。これはひとえに学志舎のおかげに他なりません。入塾できた理由は、6年の冬から入会した公文式で黙々と日々の課題をこなしており、また個別指導の塾にも通い、苦手教科対策をしてきたことによるものでした。のちにこのとき身につけた計算の基礎力、英語力の土台が重要だったと感じています。最初の出会いから2年後、今度は自分から進んで体験授業に臨み、ようやく学志舎のスタートラインに立つことができた息子でした。ここまでの道のりの長さはおそらく「塾生ナンバー1」なのではないでしょうか。

その後は、「学志舎マジック」を垣間見る思いでした。塾で何があったかは、想像する以外にありません。息子はほとんど愚痴も言わず、黙々と自転車をこいで学志舎に通い続けておりました。私はただただ先生と息子を信じ、笑顔でいること。美味しいご飯を作ること。ポジティブでいること。毎日学志舎ブログを愛読しながら、セミナーに参加したときのアドバイスを実践するだけでした。おかげさまで息子は随分と成長しました。あらゆるものごとにポジティブに立ち向かい、また家族にもいたわりの言葉をかけてくれるようなりました。これも布施先生、そして村岡先生の力強いご指導とたくさんの刺激を与えてくださる塾生の皆さんの存在があってのことです。心から皆様に感謝しております。本当にありがとうございました。

最後にひとつだけエピソードをご紹介します。3年のはじめに「難関クラス」に入った息子が塾の面談で志望校を聞かれ、いくつか名前を知っている高校をあげました。「そこにいくなら、1学期の内申は〇〇は必要」といわれ、メモ用紙に「5教科〇〇、4教科〇〇、合計〇〇」と数字だけが書かれた紙をいただきました。息子はこれを机に貼って1学期を過ごしておりました。私は内心「まさか、こんなにあがるわけない。志望校は遠いなあ・・・」と思っておりましたので、だまって冷蔵庫にこんなメッセージを貼りました。

The impossible missions are the only ones which succeed.

(「不可能なことに挑戦する」ということが、本来の「成功」をもたらすことだ)

そして1学期の通知表を見てビックリ!!内申はそのメモ用紙に書かれた数とピッタリ同じだったのです。「えっ、布施先生は予言者?!すごいっ!!」内申が1学期間で「7つ」も上がったのですから、今思えば布施先生はさておき、もっと息子をほめてあげるべきでした。

都立新宿高校(岩野様)

図1

娘が学志舎に入塾したのは、中3の5月からです。それまでは塾に通ったことはなく、定期テストの前に追い込まれて勉強するだけで、親子ともにそれなりの成績に満足しているような状況でした。体験授業を受けさせていただき、まず驚いたのは緊張感のある授業風景でした。そして当時は、布施先生がお一人ですべての教科、学年を受け持っておられる事にまた驚き(失礼ながら知らないまま体験させていただきました)この塾なら絶対に成績が伸びる!と確信しました。娘もそんな塾の雰囲気に圧倒されたようで、入塾する覚悟を決めるのに1週間かかりました。

 

入塾当初は部活動もあり本人の気持ちも受験に向けてまだまだ始動していないようでしたが、夏期講習を終えて圧倒的な勉強時間をこなした辺りから、気持ちに変化や自信がついてきた様に感じます。朝から夜遅くまでの夏期講習は正直、親の私からみるとそこまでやらなければいけないのか、と思った時もありました。けれど、今思えばあの過酷な夏期講習をやり切ったことでその後の辛い受験期間を乗り切れたのだと思います。家では相変わらず勉強をしない期間も続きましたが、そんな折、セミナーに参加させていただき、どれほど塾で頑張っているか、見守ることの大切さ等お話を伺い、布施先生の熱い情熱を感じ子供を信じて見守る気持ちを新たにしました。

 

秋以降、毎月受けた模試では思うように成績が伸びず、本人も落ち込むこともありました。この冬は特に寒さも厳しく、自転車で15分はかかる道のりを毎日通う辛さもあったと思います。母親としてサポートも十分でなかった事は反省してもしきれません。けれど、そんな娘を支えてくれたのは、志望校に対する気持ちを持ち続けるよう働きかけてくださった布施先生と村岡先生の精神的サポート、また、同じ目的意識をもった仲間の存在だったと思います。この数か月間、辛い日々だったと思いますが、娘は一度もツライとか辞めたいとか言ったことはありませんでした。それどころか、夜11時過ぎに本当に晴れやかな表情で、今日もやりきったという顔で帰宅していた事は私にとっては本当に衝撃で、塾でどれほど充実した時間を過ごしていたのか推し測るには十分でした。

 

高校受験が人生の最終ゴールではないと思いますが、今のこの時期にここまで頑張れる経験が出来たことは、娘のこれからの人生において必ず糧になり本人を支えてくれると思います。合格発表の日、娘の「学志舎に行ってなかったら合格できなかった!」という言葉に実感と強さを感じました。先生方には本当にお世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

都立新宿高校(中村様)

母2

娘と学志舎との最初の出会いは小6の2月の終わり頃にいった体験授業でした。私自身、好印象でしたが、娘は真逆の印象で「私には無理!別の塾に通うから」ということで武蔵境の塾に中3の春まで通っておりました。アットホームな環境で娘も嫌がらず通っておりましたが、中3の受験生になった時、娘が今の状況に不安を感じ娘から「学志舎に通いたい!」と2度目の体験授業にいきました。体験後、面談の席で実は以前も体験をしていうお話をさせていただくと布施先生も当時のことを覚えられており、「気になっていたよ」と言われ、娘は嬉しかったようです。6月からお世話になりました。本人もペースについていけるか不安だったようですが、弱音を吐くことはありませんでした。

 

夏休みは朝から晩までお休みの日以外は塾に通っておりました。志望校については漠然としていたようですが、実際に学校説明会や文化祭にいってみて「新宿高校」に決めたようです。娘が決めたのだからと反対はしなかったのですが、親としては内心、受験倍率をみて不安な気持ちでした。秋頃から本格的に志望校を決めなくてはいけない中で、模試の結果などから娘も気持ちが少しグラグラしていました。他の生徒さんへ志望校変更の話を布施先生がされている状況をみて娘は毎日ドキドキしていたようです。最後のプレ模試も自分の力をだしきる事が出来ず、家に帰ってくるなり、大粒の涙を流しとても悔しがっておりました。その事をきっかけに娘の気持ちに変化があったようで、自習も可能なかぎり通い食事は自宅にもどりとっていたのですが、その時間も惜しいと塾ですませていました。

 

志望校に合格するために、ひたすら過去問を解いていたようです。学校の内申に関しても、布施先生のマル秘対策にそって可能な限りで努力しておりました。「他の塾より沢山の過去問を解いて力をつけているのだから自信を持っていいと思うよ。最後までやりきり悔いの残らないように」と不安になるたびに娘に伝えました。本番当日、あまり天気の良い日でありませんでしたが、寄せ書きと個別に生徒さんよりいただいたお手紙をお守りとして鞄に入れ、娘は明るく家を出ていきました。しかし、私が自宅へ戻ってくると娘は絶望的な顔し泣きはらした顔をしておりました。理由を聞くと英語の出題方法がかわって上手くいかなかったということでした。それから合格発表までドキドキの1週間でした。布施先生から「自分のやりたいことをやって楽しんで」というアドバイスをいただいたのですが、娘が「受験生の前、私は何をやって楽しんでいたのかわからない」という話を耳にしたときは驚きました。受験後、娘の机の上を整理していたら、大きく膨れた過去問のファイルの山をみて、涙が溢れてきました。

 

合格発表当日、9時半ぐらいに学校に到着するように家を出ました。学校の門の前で1度立ち止まり親子で深呼吸して入りました。受験番号があった時は、人目を憚らず娘は大粒の涙を流し喜んでおりました。真っ先に布施先生と村岡先生に合格メールをしたようです。余談ですが泣いていたせいか、学校の関係者の方から「(不合格者の)開示請求はこちらですよ」と言われる始末でした(笑)。恥ずかしながら「見守ること」に最後まで徹しきれず、娘にとって落第な母親だったと思います。布施先生、村岡先生、塾生徒の皆さん、応援にかけつけていただいた諸先輩方、大変お世話になりました。布施先生の熱血指導!勉強だけではなく、社会にでてからのことなどたくさんの助言をいただいたようです。この先くじけそうになった時きっと思い出すことでしょう。村岡先生は短い間でしたけど、娘が「オアシス」のような存在だったと私に何度が話してくれました(笑)。学志舎で学んでなければ新宿高校の合格はなかったです。娘にとって忘れられない8か月になったのではないかと思われます。有難うございました。