☆ 西(親御様)2019年

都立西高校(F様)※推薦合格

図1

合格発表の日、自分の番号を見つけた息子は静かに肩を震わせて泣きました。我が子ながら静かで美しい姿でした。この瞬間をどれほど思い描いて頑張ってきたかと思うと、胸がいっぱいになり、おめでとうと声をかけるのが精一杯でした。

「紹介するので行ってみて。塾長と話してみれば分かるから」 

3年前、息子は中学受験に失敗して、やはり涙を流していました。模試の判定もほとんど合格圏で本人も努力準備を怠らず、塾(他塾)の先生にも絶対大丈夫と言って頂き、うかつにも親である私達自身が合格発表の前に、合格したと思っていました。このことがどんなに息子を傷つけたか分かりません。兄たちの受験の経験はあるつもりでしたが、この時ほど受験の怖さと不安定さを感じたことはありませんでした。幸いなことに息子は地元の中学で友人や先生に恵まれ、充実した中学校生活を送りました。中2の夏にそろそろ塾をという段階になって、塾選びは慎重にしたいと思いつつ、どこも決め手がありませんでした。息子の希望は2点、少人数制である、集中して勉強ができることでした。たまたま私の友人に話したところ、紹介したい塾があると言われ、これが学志舎との出会いでした。友人の息子さんは学志舎で勉強し、受験近くに布施塾長に志望校を上げて挑戦しませんかと言われて合格されたとのことでした。友人は「紹介するので行ってみて。塾長と話してみれば分かるから」と言って多くを語りませんでしたが、信頼している友人なので息子と行ってみることにしました(確かに学志舎の良さは言葉にするよりも体験したほうが分かると思います)初めて布施先生にお目にかかった時、「武蔵落ちておめでとうございます。武蔵よりもいいところに行こうとしているのですから。」と言われました。私達はびっくりしましたが、後になって、この言葉が布施先生のたくさんの生徒さんと過ごして向き合ってこられた経験と実績に基づいた言葉であることを知ることになります。息子は学志舎生活をスタートさせましたが、初めは知っている友人がいない環境の中でも「授業のペースが速い!」「皆の集中力がすごくて、休み時間と授業の切り替えが速い!」とカルチャーショックを受けながら、自分の求めていたものを見つけたようで、次第に順応していったようでした。

本人の夢を支える大きな力となった

自分の中学校から通塾している人がクラスにほとんどいなかったため、中3の夏までは集中して授業を受けることに専念していたように思います。夏以降、本格的に志望校を決めてからは同じ塾生の人たちや先輩と話す機会が増え、そのことが本人の夢を支える大きな力となったようでした。学志舎は他塾と違って、生徒にやみくもに本人が希望する学校の受験を薦めるのではなく、受験を希望する時点で合格する力に達しているかどうかの先生の的確な見極めがあります。この基準に達していると先生が判断されれば必要以上に心配することはないかと思いますが、合格を手にするまではたくさんの不安との闘いがあります。自分の番号を見つけて飛び上がって喜ぶシーンを何度も思い浮かべるのと同じくらい、もしだめだったら・・という不安もあり、それに押しつぶされるような気持ちになることもあります。とくに年が明けてからのメンタル面は大事になってくるかと思います。息子が推薦入試をうけるにあたり、学志舎で思いを同じくする仲間、先生方と頑張ると同時に家庭で話して大事にしたことは以下のようなことでした。

◆自分自身と自分のやってきたこと、学志舎で仲間と先生とやってきたことを信じる。(よく言われる言葉ですが、何の確約もない中で確かな支えが、自分の頑張ってきた事実ということは 大事なことでした。)

 ◆もし推薦入試がうまくいかなくても、学志舎に戻り、気持ちを切り替えて、もう一度トライする(絶対にサポートしてくださる!)

 ◆一般入試で合格された先輩の言葉「推薦がうまくいかなくてよかったと後から思えたことは、学校に行く回数が増えたため、学校に対する愛着が深まったこと」

 ◆一般入試で合格されて、生徒会活動などで活躍されている先輩の姿。直に伝わる先輩の言葉や姿は最後まであきらめないという気持ちをより一層強くするエールになりました。

自分の努力を合格という形で結実する体験 

今回の息子の経験を私自身振り返って学んだことは、「親としてできることは本人の日々の努力する姿を見守り」、「本人が頑張ったことの証人になる」ということだったように思います。試験を迎える前の不安な時、合否が発表される時でも、本人が頑張ってきたことを自信をもって心から讃え、伝えることができるのは、近くで見守ってきた自分の役割だったと感じます。今回、布施先生、村岡先生、学志舎の仲間や先輩、学校の先生や友達に支えられ、息子が自分の努力を合格という形で結実する体験をさせてもらったことに心から感謝致します。この出逢いに感謝して、息子が自身の夢を進み、また学志舎で続けて頑張るチームの一員として自身の体験を伝えてほしいと思います。本当にありがとうございました。

都立西高校(K様)※推薦合格

母2

「学志舎で学ぶことができて本当に感謝だ。」

2月1日朝、1ヶ月以上ぶりに大地を潤した雨はすっかりあがり、まぶしい太陽の光に、ドキドキしながら、子供と共に高校の合格発表に向かいました。行く道中、子供と充実したこの一年を振り返りました。「学志舎に出会わなかったら、西高を志望することすら思いつかなかった。」、「学志舎で学ぶことができて本当に感謝だ。」と興奮ぎみに子供が話してくれました。なんといっても圧倒的な勉強量、集中力、モチベーション持続力は、模試の度に、努力は裏切らないことをしっかり教えてくれました。自信を固めてくれたと思います。大学受験生より勉強しているかもと、高3の兄も、少なからず刺激を受けておりました。

今まで経験したことがない密度の濃い楽しい日々

特に推薦特訓の2週間は、今まで経験したことがない密度の濃い楽しい日々だったと言うので、どうして推薦を受けようと思ったのか聞くと、自分の内向きの性格を変えたかった、とのこと。受験自体、(おおごとですが)人生をかけたいい闘いをしてきたんだなあ、本当に素晴らしい財産になった、成長したなと思いました。いつも本気モードで、ユーモアで息抜きしながら、情熱と愛をもって、真剣に挑んでくださる布施先生、村岡先生!ありがとうございます!!

受験動向、傾向の綿密な分析と対策はもちろん

また時々届く、子供&親向けお便りには、毎回感心していました。受験動向、傾向の綿密な分析と対策はもちろんのこと、子どもを支える親がどうあるべきか親の面倒までみてくださって、おんぶに抱っこ状態でした。いつもタイムリーなアドバイスで、今読み返しても新たな発見満載です。素晴らしい子育てガイドでした!親向けセミナーでは、受験生を抱える親同士の楽しい座談会の場を設けてくださったり、社会で活躍するために、どんな大学、学部で、どう頑張ったらいいのか、ちょっと先の未来を見据えた視点を教えてくださったりして、大変興味深かったです。この内容は、帰宅後直ぐに、上の兄姉に伝えさせていただきました。

あらゆる努力を惜しまない学志舎スピリッツ

それから子供の作文を全部読ませていただきました。村岡先生の丁寧な添削に、激励のお言葉。この投入を、毎回一人一人にやっておられることに心から驚きます。ここまで引っ張ってくださり、共に闘ってくださった布施先生、村岡先生、スタッフ、卒業生の方々、お友達に感謝でいっぱいです。お友達に誘われて軽い気持ちで入塾させていただいたのですが(受験は団体戦なので、一緒に通うお友達は重要と考えて)、なにか深い意図があって、今後の時代のために、この訓練に参加させていただけたような気がしてなりません。(責任重大!)あらゆる努力を惜しまない学志舎スピリッツで、今後も力強く道を切り開いて行けるよう、子供の未来を祈ると同時に、私も努力していきたいと思います。心よりありがとうございました。

都立西高校(M様)※推薦合格

そんな躊躇気味の父の背中を強く押してくれたのは

息子が「学志舎に通いたい」と言い出したのは中学2年に進級する春休みでした。一足先に入塾した親友、石崎君(都立日比谷高校に推薦合格)の話を聞いて俄然興味が湧いたようです。ただ正直に申し上げますと、息子から学志舎の説明を受けた私(父)は“なんか面倒臭そうだな”と思ってしまいました。入塾を許可されるか否かは内申点の確認やテストの他、三者面談を経て判断されると言う。“そんな厳しい塾に通って果たして息子は、皆についていけるのだろうか?”と心配になると同時に“親のヤル気までチェックされるのではないか”と不安になったのです。そんな躊躇気味の父の背中を強く押してくれたのは、何あろう月額授業料であったこと、正直ついでに告白しておきます。

 まさか息子が西高を志望するようになるとは

初めて訪問した学志舎の風景は忘れられません。ピリッと張り詰めた教室の空気と一心不乱に机に向かう塾生達。噂以上でした。それもあって、息子が受けたテストの採点も無しに「それでは明日から来てください」と面談で布施先生に告げられた時は拍子抜けしました。思わず問い質したところ、「答案用紙に向かう表情やペンの動きを見れば大体分かります。子供以上に親御さんが前のめりなのもあまり良くないので、心配されなくても大丈夫ですよ。」というようなことをおっしゃって頂きました。この言葉で父のハートはガッチリ掴まれました。「親の希望は特にありませんので、息子の意志を尊重します。頑張りに期待します。」と布施先生に伝えたのみです。この時は、まさか息子が西高を志望するようになるとは、そればかりか推薦入試合格という最高の結果が得られるとは、あまりに高すぎるハードルのため夢想すらしませんでした。

表情からは充実感が溢れており、

入塾後の息子の変化には、眼を見張るモノがありました。内申点や模擬テストの成績アップは勿論のこと、ともすると思い悩みがちだった性格(父似です)まで常に前向きに変わったのは驚きでした。「入試が近づくにつれ、思うような結果を出せず、落ち込んだり、イライラすることが増えるだろう」と妻と話して覚悟していたのですが、そんなナーバス期はついぞ訪れませんでした。布施先生、村岡先生の言葉を信じ、息子は気持ちの切り替え術まで会得してタフになりました。学力のみならず心の成長までも促してくれる学志舎は、まさにワンアンドオンリー。「ヤル気スイッチがナンボのモンじゃい!こちとらスーパー人間成長スイッチじゃい!」とでも申しましょうか。以前は定期試験が近づくと自宅で父が繰り出す問題(勿論答えを見ながら出題します)を解かせていたのですが、通塾しだしてからは「問題出して」と言われることも無くなり、少し寂しくもありました。その代わり、帰宅後の食卓で「今日は何々をやって、先生はこうこう言って、誰々はどうだった。」という話をよく聞きました。表情からは充実感が溢れており、それが何より父を喜ばせました。またある時は、逆に「これ解いてみる?」と西高の過去問を渡されまして、それで父の威厳はあっさりと地に堕ちました。

 学志舎で大切な宝物を見つけた

取り留めのない思い出話に終始してしまい申し訳ありません。なんせ放任主義とは名ばかりの完全放ったらかし、ただただ息子の成長を眩しく感じながら見守っていただけの父です。長い人生において、「人との出会いほど大切で、かつ素晴らしいモノは他にない」と私は考えます。息子は、学志舎で大切な宝物を見つけたのだと思います。布施先生、村岡先生をはじめ共に切磋琢磨した塾生さん達には感謝してもしきれません。皆々様のこれからの人生に幸多からんことを、そして、ここで得た学びや素晴らしい関係性が卒塾後も続きますことを願っております。我家の寝室は足先が微妙に学志舎の方角を向いておりますので、最近は少し足をズラして寝るようにしております。ありがとうございました。

都立西高校(S様)※推薦合格

図1

高校で生徒会長を担うほどの子どもたちが集まる塾

「都立西高校へ行きたい」

中学1年生の秋、高校説明会に行った後の息子の第一声でした。息子の学校の成績は悪くはありませんでしたが、校内でトップレベルというわけでもありませんでしたので、都立最難関の高校に行きたいと言ったことに驚きました。しかし、私自身も都立西高校の教育方針にとても感銘を受け、本人が希望するのであれば是非行かせてあげたいと思い、対策を考えました。早速、都立西高校への合格実績が高い塾を調査しました。大手塾では当たり前の決まり文句ばかりが目立ち、どこも同じ様なことがホームページに書かれていました。その中で一際、熱血な塾を見つけました。

『「都立西」の推薦合格率100%(3名受験、3名全員合格)』※2016年度

卒塾生の声や親御様の声には「静かな塾。徹底的に自習を推奨する塾」という意見。先生が熱いという話にも興味がわきました。しかし、場所は自宅の小平からは少々遠く、まずは通信教育で様子を見ることにしました。その間もホームページはチェックして、どのような方が入塾されているのか、どのような考えの塾なのかを頻繁に確認しました。後に高校で生徒会長を担うほどの子どもたちが集まる塾に、日に日に惹かれていきました。

保護者向けのイベントがあることも魅力の一つ

中学2年の秋、一大決心して体験授業に参加しました。驚くほど静かな教室、聞こえてくるのは先生の声と鉛筆で書く音のみ。先生の指導が熱く、授業の進度もちょうど良いペースということで、家族全員一致で通うことに決めました。通塾方法についてはバス、電車にするか、車送迎か悩みましたが、通塾時間の短い、車送迎の道を選びました。この塾には保護者向けのイベントがあることも魅力の一つです。毎月の学志舎通信に加えて、「親のチカラupセミナー 春の陣」「愚痴らナイト&見守らナイト」「親のチカラupセミナー 秋の陣」があり、特に「愚痴らナイト&見守らナイト」は、ほかの保護者の方と意見を交換する場となりました。家では全く勉強しない、学志舎の自習でどこまで集中してできているのか等、同じように不安に思っていることがわかり、うちだけではないんだと心強く感じました。親にできることは見守ること・・・はじめのうちはつい口出ししたくなることも多々ありましたが、怒涛の夏期講習で疲れ切って帰ってくる息子の姿に、家ではゆっくり休んでほしいと思えるようになりました。

先生のお言葉がなければ成しえなかった

夏期講習を乗り越えた3年生の秋になると自習にも積極的になり、週3日の通塾が、平日は毎日になりました。土日は朝から晩までお弁当を持って通っていました。学志舎にいる時間が増えるにつれて、息子の学力も上がっていきました。最終的に偏差値72まで上げることができたのは、この塾での質の高い自習時間のおかげだと思います。また、内申対策に関しては先生のお言葉を胸に、慣れない学校の先生への対応も素直にこなしておりました。素内申39から43まで内申を上げられたことは、先生のお言葉がなければ成しえなかったと思います。

 唯一無二のアドバイスをいただきました

内申も偏差値も目標に届いてからの推薦対策は、自己PRカードの「●●(※部外秘)」にも及んだこと、集団討論の「●●(※部外秘)」など、この塾でしか経験ができない、唯一無二のアドバイスをいただきました。また、憧れの志望校に通う卒塾生が、応援に来てくださるところも大きな心の支えになったようでした。そして推薦入試は、先生や先輩、仲間と繰り返し行った特訓の成果を出せて、緊張もせず作文と集団討論ができたと聞いてほっとしました。結果は合格。布施先生と村岡先生のご指導、先輩方のアドバイス、仲間たちの協力がなければ合格を勝ち取ることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。「一生忘れられない出会い」がここにありました。息子のこれからの人生の礎となる一年半になったと思います。ありがとうございました。最後に娘が日比谷高校推薦合格、息子が西高校推薦合格と、同時にこの上ない成果を出せたことを本当に感謝しております。今後、この経験を学志舎の後輩方へ繋げていけるように、二人が貢献できればと思っております。

都立西高校(O様)※推薦合格

母2

遠くからわざわざ通う子もいる三鷹の個人塾

「塾に行った方がいいのかなあ」そう言い出したのが中学2年の2月のことでした。それまで塾というものに行ったことがなく、時間があればゲームやネットサーフィンばかりしている無気力な日々を送っていた息子から初めて聞いた前向きな言葉。私は小躍りして、この意欲が消えないうちにとその場でパソコンを立ち上げ、息子とともに情報収集を始めました。そしてすぐに大手の個別指導塾2か所の見学の予約を取り付けました。ところが実際に行って体験してみると本人は「個別は何か嫌だ」と。マイペースな息子に合っているかと思ったのですが、本人が嫌なら仕方ありません。個別が嫌なら家庭教師などもってのほか。残る選択肢は集団塾です。大手の集団指導塾を続けざまに見学し、大手には食傷気味だった私たちが連絡を取ったのが学志舎さんでした。遠くからわざわざ通う子もいる三鷹の個人塾という程度のうっすらした知識しかなかったのですが、よく調べてみると通塾の条件として「関心・意欲・態度」のA6つ以上と提示されています。ギリギリだったのでドキドキしながらも勢いで(笑)メールを送らせていただきました。

 2018年2月 

体験授業。数学と英語のテストを受け、その結果を元に親子で面談。「内申も加味すると応用クラスと難関クラスの間ぐらいですかね。入塾を希望される場合はご連絡ください」という程度のあっさりとした面談で、それまで大手塾の営業トークを聞き慣れていた私には拍子抜けでしたが、息子はこれまでに見た塾にはない、ピリッとした雰囲気に驚きつつ、この環境ならがんばれると思ったようで、その日のうちに新年度からの入塾を決めました。内申35からのスタートでした。

 夏休み

入塾後、塾の授業の進行の速さに目を白黒させながらも真面目にがんばってきましたが、夏期講習と部活との両立はなかなか難しいものがありました。吹奏楽部部長だった息子は、8月初旬の吹奏楽コンクールまでは部活を優先せざるを得ず、夏期講習の前半はだいぶ欠席することになりました。他の塾生がメキメキと実力をつけていく中、部活で休みがちの息子はだいぶ遅れをとっていたと思います。本人も焦っていたでしょうが私も気になっていて、そのころ開催された保護者の懇親会でグチを吐き出していました。村岡先生には面と向かって「岡本くんが心配です」と言われましたが、同時に「でも部活をとことんやり切ることも大事だと、塾長とも話しているんです」とも言っていただき、部活に通う息子を落ち着いて見守ることができました。おかげ様でコンクールでも金賞が取れ、思い残すことなく勉強に気持ちを切り替えられたと思います。

 12月 

学校で最後の三者面談。志望校を西高で申請しました。学志舎でのご指導の下、努力した結果、最終の内申は43まで+6UP前回の三者面談の際は「西高? 上位の学校を目指すんだね。」と驚いていた担任の先生から、逆に推薦入試の打診を受けるまでになっていました。正直なところ、内申がここまで上がるのは想定外で、推薦なんて夢の話だと思っていたのですが、にわかに現実味を帯びてきました。

 2019年1月

学志舎の推薦対策特訓を受けることとなり受検前日まで熱い2週間を過ごすことに。授業で何をやっているのか、根掘り葉掘りきこうとすると露骨にイヤな顔をされたので黙って見守るようにしました。受検前日、ふと息子を見ると肩口が骨張っています。いつの間にか、やせていました。集団討論や作文、面接など、日ごろなじみのないことを2週間毎日必死にがんばってきたことがよく分かりました。 

 推薦入試

作文で“やらかした”、と言って帰ってきました。指定文字数を埋められなかった、内容も自信がない、と。一方、集団討論と面接は特訓の成果でいつも通りにできたようです。しかし作文の配点から考えて、厳しい結果も覚悟しておかねばならないと思いました。

合格発表

あの日ほど、家を出てから西高への道のりが長く感じられたことはありません。息子と2人で電車に乗りながら、口では強気の合格前提の話をしていましたが、内心、もし不合格だったらどんな言葉をかければいいのか、どうやって一般入試へのモチベーションを上げてやれるのか、そればかり考えてしまいました。しかし現地には塾長が待機していらっしゃると聞いていたので、何があっても大丈夫と心を強く持って向かいました。掲示板に息子の受検番号を見つけたときの喜びは、何とも言い表せません。塾長からも祝福していただき記念写真を撮っていただいたりしたのですが、なんとなく心ここにあらずという雰囲気があったような…。あとで聞いた話によると、塾長は息子の合格がかなり意外だったのか()「岡本くんは〇〇番だったよな?」と他の塾生に確認していたとのことです。しかし、ミラクルでも何でも合格には違いありません。あとは入学してからがんばってもらいます!

 親の役割はとにかく見守ることだ

こうしてこの1年を振り返ってみると、親の私たちが受験のためにやったことは、ほとんどないことに気づきました。1回目の親セミナーで、親の役割はとにかく見守ることだと教えていただいてから、何の口出しもせず相談されたときだけ助言をするに留めました。2回目の親セミナーでは、村岡先生から高校入試の先を見通したお話をうかがい、そこまで考えていただいていることに感激。先生方に息子を託したつもりで、全面的にお任せする気持ちをさらに固めました。また、本人はあまり話してくれませんが、推薦の特訓のおかげでそれまで話をしたことのなかった塾生たちと濃密な時間を共有できたようですね。今後の人生において、大きな宝物となることでしょう。卒塾生として恥ずかしくない人生を送っていけるよう、これからも親としてさらに見守っていきます。布施塾長、村岡先生、お世話になり本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

都立西高校(H様)※推薦合格

図1

本人もこの結果を想像すらしていなかった

この度、娘は都立西高校の推薦入試で合格をいただくことができました。娘が入塾したちょうど1年前は、周りも、おそらく本人もこの結果を想像すらしていなかったと思います。
娘は中学1年、2年の時にはそれぞれ別の大手集団塾に通っていました。2年から通い始めた集団塾では、娘なりに真面目に頑張っていたのですが、日が経つにつれて「塾へ行きたくない」と言うようになり、塾がある日は朝から体調が悪くなるほどになりました。私も、娘の今後のことで塾の先生に相談したくても、どの先生に相談していいのかさえ分からず、これから迎える受験期をその塾で過ごすイメージが全く湧きませんでした。このままではいけないと思い、転塾を決めました。転塾といっても、いくつかの塾を経験し、もう集団塾はどこでも同じだと感じていた私たち親子に、行く塾のあてはありませんでした。ふと、以前に知り合いの方から「三鷹にすごい個人塾があるよ」と聞いていたことが頭をよぎり、すがる気持ちで体験授業に申し込みました。

 「この先生の下でなら、娘は頑張れるかもしれない」

学志舎での緊張感ある体験授業を受けた後、布施塾長との面談でお話を伺った際にとても印象的だったことは、卒塾生の方々のことをとても誇らしげに話されていたことです。そして都立高校の合格に向けて、「必要なこと」と「必要でないこと」を明確に話してくださいましたが、とても説得力のあるお話でした。また、体験に来ただけで、まだ入塾も決めていない娘の現状を親身に心配してくださった時には、これまでの塾との圧倒的な違いを感じ、「この先生の下でなら、娘は頑張れるかもしれない」という強い期待と確信が湧いてきました。体験授業の帰り道、よほど塾長の影響を受けたのか、娘が急に関西弁で話し出した時にはちょっと驚きましたが、「学志舎は先生との距離が近そうでいいね。この塾で頑張る。」と娘の出した答えは、私が想像していたものと同じでした。

周りの塾生さん達のレベルの高さと圧倒的な勉強量に刺激を受け 

中学3年の授業がスタートするタイミングでの入塾となりましたが、それまでの娘は自分に甘く、学校の定期テストでも8割くらい取れれば良いやくらいに考えていたように思います。テストの点数も評定も当然納得いくものではありませんでした。ですが、学志舎に通い始めて周りの塾生さん達のレベルの高さと圧倒的な勉強量に刺激を受け、周りに置いていかれないように自分も頑張らなくてはいけない、と心を入れ替えて必死に取り組むようになりました。最初の大きな変化は、娘が自習室に積極的に通うようになったことです。これまでの他の塾での自習室では、いつも誰かがしゃべっていて全く集中できないと言って、テスト前もほとんど利用したことがありませんでした。学志舎の自習室では私語をする人は全くおらず、周りで皆がとても集中していることが大いに刺激になったようで、自習室に居る時間がだんだん増えていき、おのずと勉強時間も増えていきました。定期テストに対しても全教科真剣に満点を目指すようになり、入塾前に39だった内申は、中32学期の終わりには43まで上がりました。

 その日から娘の目の色が変わりました

志望校がなかなか決まらないまま夏期講習をむかえたある日、家に帰ってきた娘が「今日塾長と面談があって、西高を目指してみたら?って言われた!!」と興奮気味に話しました。西高は娘が中学1年の時に文化祭で訪れた初めての高校で、その時の西高の個性的で自由な校風にとても興味を持った様子でしたが、当時の自分の成績では西高に行けるはずがない・行きたいなんて恥ずかしくて言えないと諦めていました。でも実はずっと西高に行きたい気持ちがあったのです。塾長から西高への受験を勧めていただいたことで、西高への秘めていた情熱が一気にあふれ出たようでした。「志望校は西高!」そしてその日から娘の目の色が変わりました。

 娘はいつも驚くほど前向きで弱音を吐かず

娘の課題は数学の克服で、夏休み中もかなり数学に力を入れて勉強していたと思います。秋からも徹底して取り組んでいましたが、最後まで数学は苦戦を強いられました。模試では得意の英語・国語ではそこそこ良い点が取れるのですが、数学は平均点を取るのがやっと。数学が足を引っ張っているのは明確で、西高への挑戦は無謀とすら思えました。それに追い打ちをかけるように秋から取り組んだ西高の数学の過去問が全く解けず、一度だけ心が折れた時があります。ですが、すぐに西高へのアツい気持ちを取り戻し、ただひたすら毎日重たいリュックを持って学志舎へ通い、自習室で数学と向き合っていました。夏休み以降、毎日の長時間の勉強で首や肩の凝りがひどくなり、毎日頭痛に悩まされるようになりました。薬を飲んでも1回では効かなくなってきましたが、「早く頭痛を抑えて塾へ行って勉強したい」と、頭痛薬をほぼ毎日2回ずつ飲むようになりました。娘の体がだんだん悲鳴を上げていくのが分かりましたが、娘はいつも驚くほど前向きで弱音を吐かず、志望校に対しても一切ブレることはありませんでした。そんな中で私がしてやれたことは、少しでも温かく栄養のある食事をつくること、岩のようにガチガチに凝った娘の肩をマッサージすることくらいでした。娘の努力の甲斐があり、少しずつ数学も解ける問題が増えていったようです。まだまだ合格点には及びませんでしたが、小さな喜びが自信につながっていくようでした。

 学志舎の強さのヒミツはここにもあるのだと納得

娘は西高の推薦を受けたがっていました。作文は得意なほうで、中学では委員会の委員長を経験し、どの場面でもリーダー的な役割を引き受けることが多かった娘にとって、一般入試より面接や集団討論がある推薦入試の方が、自分にも合格のチャンスがあるのではないかと思っていたようです。学志舎の推薦対策講座は、すでに一般入試でも十分に合格する成績でないと受講させてもらえないと聞いていましたので、かなり微妙なラインにいた娘は、塾長にお願いして受講を許可していただきました。2週間の推薦対策講座はとても内容の濃いものだったようで、毎日作文を書いては村岡先生に添削していただき、集団討論は2週間の間でなんと「●●(※部外秘)」も練習していたと聞きました。「村岡先生のアドバイスがすごいんだよ!アドバイスどおりにやってみると、本当に良くなるんだよ!」と、村岡先生のご指導の素晴らしさやその日の様子を毎日帰りの車の中で、興奮気味に話してくれました。推薦入試メンバーともとても仲良くなったようで、毎日円陣を組んで気合を入れていたようです。志望校合格へのアツい気持ちを共有して全力で取り組む仲間達との時間はかけがえのないものであり、入試間近とは思えないほど毎日キラキラしていました。また、学志舎の先輩方も大勢駆けつけてくださり、沢山のアドバイスと励ましをいただいたようで本当に感謝しています。
推薦対策期間中はもちろん、学志舎では普段から卒塾生の先輩方が本当によく力を貸してくだいました。先輩方の体験談や憧れの学校のお話に、春からの自分の姿を重ね、志望校への思いをどんどん膨らませていったようでした。ある時、私が「みんなライバルだね」と何気に言ってしまったのですが、「違うよ、ライバルじゃなくてみんな仲間だよ。全員で一緒に合格するんだよ!」と娘に叱られたことがあります。なるほど学志舎の強さのヒミツはここにもあるのだと納得しました。この推薦対策で娘は、布施先生、村岡先生、先輩方と仲間たちによって存分に長所を引き出していただき、作文力とコミュニケーション力に大きな自信をもって挑むことが出来たことが合格へとつながったのは間違いありません。

 親の気持ちにまで寄り添って、ここまで言ってくださる塾は他にはない

合格発表の日、掲示板で娘の受験番号を見つけたときはただ驚き、喜びで溢れ、正直その後のことはよく覚えていません。ただ、娘の合格の瞬間を見届けてくださった塾長と固い握手をしていただいたことだけは覚えています。学志舎では保護者向けのセミナーがあります。私も参加させていただき、親が「見守る」ことの大切さを教えていただいたのですが、頭では分かっていても実際は簡単なことではありません。その時の塾長のお話で「保護者の方々も毎日仕事や家のこと、子どもの学校のこと等でお忙しいし、大変ですよね。でもお子さんの勉強のこと、受験のことはお任せください。」と聞いた時、“親の気持ちにまで寄り添って、ここまで言ってくださる塾は他にはないな。ただ学志舎を信じよう。あれこれ小言を言うのをやめて、娘を全力でサポートしよう。”と、親としての覚悟を決めたことを思い出します。

 娘が心から信頼できる先生方に出会えたことは一番の奇跡

セミナーの時でのお話や、学志舎のブログを拝見していると、学志舎では布施塾長と村岡先生が揺るぎない信頼関係で結ばれていらっしゃることが本当によく伝わってきます。だからこそ、子供たちも先生方を心から頼りにし、私たち保護者も安心してお任せし、見守ることに徹することが出来たのだと思います。中学生という多感な時期に、学校でもなく家庭でもない場所で、娘が心から信頼できる先生方に出会えたことは一番の奇跡です。「君ならできる!」「絶対に合格する!」先生方のアツい言葉には大きな力があります。その先生方の言葉を信じて素直に聞き入れ、ただひたすら努力を続けたことが、娘が西高へ合格できた理由です。

 学志舎での経験があれば、

この1年間で娘は本当に大きく成長させていただきました。これから高校入学後やその後の人生でも大きな壁にぶつかることがあると思いますが、学志舎での経験があれば、きっと自分で道を切り開いていってくれると信じています。最後になりましたが、娘の成長を全力でサポートしてくださり、合格へと導いて下さった布施塾長、村岡先生、自習室の先生方、先輩方、そして学志舎で共に学んだ皆さんに心よりお礼申し上げます。そして学志舎でこれから受験を迎える皆さんが、全員笑顔で合格の日を迎えられることを心より祈っております。

都立西高校(U様)※推薦合格

母2

自習勉強も自発的に通うようになりました

娘が学志舎に入塾したのは中学3年生の11月でした。中学2年生の夏休みに学校見学をして西高校を受験したいという思いはありましたが、習い事のバレエも休みたくなかった為、時間の融通が利く個別対応の塾に通っていました。学校の成績はなんとかギリギリとれていたものの、模擬試験の結果があまりパッとせず、“今のままで大丈夫か”という焦りと不安を抱えていました。今からでも通わせてもらえる塾はないかと探していたところ、娘の友人が何人か通っている学志舎が頭に浮かび、お電話をさせて頂きました。入塾当初は、消極的な自分とは真逆の布施塾長の熱い思いと授業の速さに圧倒されっぱなしのようでした。しかし、布施塾長の的確な指導のおかげで少しずつ成績も上がり始め、勉強に意欲を感じたようで自習勉強も自発的に通うようになりました。

 どうしてもこの特訓を受けさせたかったのも学志舎に入塾希望をした理由の一つ

1月に入り、推薦対策練習が始まりました。学志舎の推薦対策練習はすごいというお話は伺っていて、メンタルも弱く、人前で話すことが苦手な娘だからこそ、どうしてもこの特訓を受けさせたかったのも学志舎に入塾希望をした理由の一つでした。本人にとってかなり試練の日々だったと思います。最初の頃は何も話せず、落ち込んで帰宅することも多々あり。そんな中でも推薦対策のエキスパートの村岡先生には、アドバイスを頂いたり、励ましのお言葉を頂き徐々に意見も述べられるようになり、自信に繋がっていきました。

 この短期間での成長ぶりにも驚きました

推薦入試当日は、西高校の校門で布施先生に声をかけてもらったおかげで落ち着いて推薦入試に臨めたようです。いつも模擬試験の時は、緊張し、半べそをかきながら会場に向かっていた娘が、「楽しかった」と笑顔で帰宅したのにはビックリしました。以前から試験当日は緊張のしすぎで過呼吸になるんじゃないかと心配するぐらい本番に弱いもので、この短期間での成長ぶりにも驚きました。学力だけでなく社会に出た時に役立つ力、精神力を授けてくださったことに感謝しかありません。また日々来校しアドバイスして下さった、卒塾生の先輩方のお力添えも本当に力になったようです。何よりこんな遅い時期に入塾したにも関わらず共に切磋琢磨し支えあってくださった塾生の皆さん、そして入塾を許可して下さった布施塾長と村岡先生、本当にたくさんの人のおかげで掴みとれた西高校の推薦合格だと思います。本当にありがとうございました。

都立西高校(M様)※推薦合格

図1

「都立=狭き門」

ちょうど1年前、娘が中2の2月、私も娘も焦っていました。というのも、1年かけて高校見学や説明会に数多く行っていたにもかかわらず、「ここ!」という高校が決まらず、受験生になるというのにいまいち気合が入らなかったのです。今振り返ると、何となく受かると思っていた都立三鷹中に落ち、入った公立中の1年生保護者向け進路説明会では「都立高受験はたいへん厳しいものです。皆さん、今から私立の学費を貯めはじめて下さい。」と聞かされ、「都立=狭き門」とインプットされて、ぼんやりと不安な気持ちばかりがありました。

もう学志舎に決めたい!と、即決

 娘も「このままではまずい」と思ったのか、「3年生からは塾に入りたい」とのことで、知人に紹介してもらった学志舎と○会、ふたつの見学に行ってみることにしました。まず行ったのが学志舎でした。足を踏み入れたとたん、空気がピンと張りつめているのを感じました。緊張しながら布施塾長に席へと案内され、娘は英・数の問題を数問解いてみるように指示され、その間、私は初対面の塾長の白衣におののきながら、横の大きな書類棚に目を奪われていました。過去問や各高校の資料など、膨大な量の書類が一分の乱れもなく完璧に収納された、その棚から必要な書類を一瞬の迷いもなくスッと取り出し、あっという間に娘の解答用紙を採点し、すぐさま学力を正確に測った塾長を見て、「この先生絶対にできるお方だ!!」と、心を奪われました。志望校を聞かれたので、高望みかと思われる学校名を恐る恐る申し上げると、「もっと上に行けます。」と自信満々に断言され、「この先生が仰るなら、本当にそうかもしれない」と思ってしまったのですから、この時から、もう私たちは「布施マジック」にかかっていたのでしょう。帰り道、「どうする?○会も見に行く?」と娘に聞いたところ、体育会系(競泳)の彼女は、防大卒・海上自衛隊出身の先生と波長がぴったり合ったらしく、「いや、もう学志舎に決めたい!」と、即決でした。この決断が娘の人生を左右したといっても全く過言でないと、今はっきり言えます。

娘の目の色が変わったのが分かりました

入塾前も真面目に学校生活は送っていて内申は42でしたが、入塾してすぐ、まさにスイッチが入ったようで、塾長の教えのとおり「内申は、実技科目も含め、狙って5をもぎ取りに行く」という貪欲な姿勢が初めて見えて、1学期にいきなりパーフェクト(45)となり、2学期もキープできました。中学校では「わりと出来るほう」だと思っていたのが、学志舎の子たちの意識の高さ、ものすごい集中力のなかで揉まれ、娘の目の色が変わったのが分かりました。

 塾長は、“絶対に合格させる”というイメージが終始一貫

2学期になって、「競泳も引退せず続けながら受験勉強したい」と言う娘に、私は「みんな部活も引退してエンジンかけてくるのに、大丈夫なの?一度、引退したら?」とオロオロとヒステリックな動揺をさらし、塾長にメールで不安をもらすと、「この子はちゃんと両立できます。」と、どちらが親なのか分からないほど娘を信じ、応援して下さり、自分の度量の小ささを恥じました。塾長は、“絶対に合格させる”というイメージが終始一貫、全くぶれず、本当に強い方だと心底感激しました。

 スッと気持ちが楽になりました

「学志舎セミナー」で布施先生・村岡先生のお話を聞けたことも、私にとって大きな転機となりました。つい近視眼的なことばかり考え不安が先行してしまう私に、「10年先・20年先を見越して、親としてどうあるべきか」を東急エージェンシー社で就職等の現場を知り尽くした村岡先生は、具体的にはっきり示して下さり、「自分の仕事に集中する、ごはんを作る、子どもを信じ、全力でサポートに徹する。私にできるのはこれだけだし、それで良いんだ。」と、とてもシンプルに考えられるようになり、スッと気持ちが楽になりました。

 「学力だけでない、セルフプロデュース力を含めた人間力」

年が明けて1月、「推薦特訓」で娘が見せた成長には本当に目を見張りました。もともと自分をアピールするということは苦手としており、特訓初日の集団討論の練習では「全然話せなかった」と焦っていましたが、村岡先生の的確なご指導、メンバーの温かくも鋭い指摘、励ましあいのなか切磋琢磨して、一日ごとに自信をつけているのが表情にあらわれていました。毎日長時間、作文・討論・面接の特訓を受け、受験前日には晴れ晴れとした顔で「こんなにものすごい、素晴らしい体験ができて、万が一、落ちたとしても全く悔いはない!」と胸を張る娘に、本当にこの1年で学志舎で身につけた、「学力だけでない、セルフプロデュース力を含めた人間力」ともいうべきものは、一生の財産だと感謝で胸がいっぱいになりました。こうなるともはや「学習塾」を超えて、江戸時代の松下村塾や適塾のような「私塾」のようなイメージです。推薦入試で西高に合格を頂けたいま、娘と、学志舎との1年前のご縁を奇跡のようにしみじみ振り返っています。あのときに学志舎に出会っていなかったとしたらと考えると、得られなかったであろうものの多さに怖くて震えます。先輩方同様、これからも学志舎という原点を大切にし、後輩たちのお役に立てるような人になってほしいと願います。本当にありがとうございました。これからも、どうぞよろしく願いいたします!

都立西高校(I様)

母2

人間として大きく成長出来る様々な指導

この度、息子が第一志望の西高に合格することが出来ました。また、合格だけでなく人間として大きく成長出来る様々な指導をしていただきました。布施塾長と村岡先生と学志舎の先輩の皆様には深く感謝申し上げます。息子が学志舎に入塾したのは中1の冬です。周囲の友人がほぼ塾に通っている中、息子の「塾には行かない」との意思を尊重し通信教育のみ受講していました。しかし、学校の三者面談で担任の先生から「塾に行かないと手遅れですね」と言われたことに危機感を抱いたのでしょう、塾に行きたいと言い出しました。本人がSNSで調べ学志舎に興味を持ち、すぐに体験授業に行き、雰囲気をとても気に入り、他の塾を見学することもなくその場で入塾の意志を固めました。その意志は間違っていませんでした。

 学志舎は間違いないと確信した瞬間

保護者向けセミナーや息子との会話で感じた感想は二点有ります。一点目は「事実に基づいた、自信と責任感を持った率直な言葉で指導を行う」、二点目は「単に合格に向けた指導ではなく、その先を見据えて一人の人間に対する指導を行う」です。

 一点目に関しては、最初のセミナーで「学志舎には校内成績上位層が多く、保護者の皆さんは少し安心してされているかもしれませんが、あくまでも校内での話です。地域内の本当の上位は中学受験し、校内にほとんどいません。皆さんのお子さんは、地域内だと本当の上位ではありません。保護者の方々には、先ずその事実をきちんと認識していただきたい。ただ、学志舎で努力すれば必ず成長出来ます。また、私は塾生に好かれようと思ったことは一度もありません。好かれるためではなく、お子さんの成長の為に全力を尽くします。」と冒頭に布施塾長が仰いました。私自身にガツンと響く言葉でした。相手が喜び、気持ちよくなることを言うのは容易いですが、そうではないことを言うのは、事実に基づいた自信と責任感がないと出来ません。布施塾長は本気だ、学志舎は間違いないと確信した瞬間でした。

二点目に関しては、「合格は重要であるが受験を通してどれだけ努力するか、成長出来るか、この経験を将来にどれだけ活かせるか」という観点で指導をされていたと感じています。目標を合格に絞った塾は至る所にありますが、学志舎は違います。セミナーでは、「大学受験」や「将来の社会人としての心構え」等も深く説明していただきました。息子の家庭での会話でも、高校受験のその先を見据えた内容が出てくることが多々有りました。布施塾長と村岡先生の指導が息子を受験以外のところでも大きく成長させてくれました。そのことが西高推薦不合格からの素早い切り替え、一般試験に向けての努力と合格に繋がったと確信しています。

役割分担も合格の大事な要素 

布施塾長と村岡先生の指導は、一つ一つが息子の胸に深く響いているようで、帰宅後は楽しそうに話をしていました。九州出身で東京の高校事情を知らない私達に学志舎から得た知識を色々と語っていました。「西高に行きたい」と頑張り初志貫徹する息子の姿を見るのは、楽しく、誇らしく、学志舎に入ってからは家の中も更に明るくなったように感じます。保護者としては、受験勉強は学志舎と息子を信じて見守ることに努めました。睡眠時間と健康は、保護者の責任として全力で取り組みました。役割分担も合格の大事な要素だと考えます。高校受験は家族としての絆も更に深まり、最高の結果となりました。布施塾長と村岡先生と学志舎の先輩の皆様、本当にありがとうございました。

都立西高校(川俣様)

図1

他の塾にはなかった塾生の真剣な眼差し

布施先生、村岡先生、塾生の皆様のおかげで、退塾の危機、推薦での不合格を乗り越え、第一志望校の都立西高等学校への入学の切符を手にすることができました!皆様と過ごせた学志舎での時間に心から感謝しています。反抗期、真只中の中学1年生の夏に入塾をお願いしました。学志舎の進学率が魅力的だったのはもちろんですが、あの静けさのなか、絶対的存在として君臨する布施先生の姿に畏怖の念を感じつつも、他の塾にはなかった塾生の真剣な眼差しに、ここでなら息子が変われるかもしれないと感じたからです。とは言え、すぐに息子が変わることはなく、1年生の3学期の成績では、関心・意欲・態度の評価が入塾条件を下回る結果となり、布施先生から、「今後のことは家族でよく相談してください」との退塾勧告がありました。この時の判断は息子に一任しました。学志舎を続けるということは、あの当時の息子にとって、相当努力が必要だったからです。布施先生からご指導も受け、この件を通してやっと息子が覚醒しました。

できるだけ塾で時間を過ごすようになり

それからは、できるだけ塾で時間を過ごすようになり、中学校の先生方にも「よくがんばっている」というお褒めの言葉をもらうようになっていきました。それでも3年生の1学期成績は、西高校を受験するには厳しいものがありましたが、本人の意思は固く、2学期の内申点を「+5」伸ばすという目標を持って、夏期講習に突入する形となりました。 夏期講習は、こちらが心配になるくらい、朝から晩まで、本当によく学習に取り組んでいたと思います。問題が難しくて涙した夜もありました。それでも腐らず取り組めたのは、布施先生、村岡先生、先輩方の教え、励ましがあったからだと思います。

 人間としてもっと大事なことを教わった

布施先生に西高校の推薦を認めていただき、あの推薦対策の授業を受けられたことは、息子の一生の財産になると思います。受験に限らず、人間としてもっと大事なことを教わったと思っております。推薦の合格発表当日、厳しいとはわかっているつもりでしたが、やはり不合格のショックはとてつもなく大きく、息子と無言で学校を後にした記憶があります。布施先生の「大丈夫、一般で大丈夫だから」という言葉だけが、私たちの頼りでした。

 不安を打ち消すかのように、時間があれば塾に通う日々

その後の一般試験までの一ヶ月は、不安と希望が混ざった、これまでに感じたことのない何とも言えない日々でしたが、息子はその不安を打ち消すかのように、時間があれば塾に通う日々でした。親としては、内申、模試の結果に一喜一憂した落ち着かない受験生活ではありましたが、先生方から学んだことを、仲間のことを、毎日とても楽しそうに話す息子に頼もしさも感じていました。このまま、先生方にお任せしようと、ただ、ただ、毎日ご飯を作って息子の帰宅を待つ日々でした。西高校合格と同時に息子は、尊敬できる恩師、尊敬できる仲間、礼儀、何事にもあきらめない強い精神力、そして自信を得ることができました。最後の面談でいただいた先生の言葉の通り、今後はどんなことがあろうと、学志舎での経験を元に、積極的にいろんなことに挑戦していってくれると信じています。 先生、塾生の皆様、本当にありがとうございました。塾生の皆さんの明るい未来を心から応援しています。

都立西高校(H様)

母2

学志舎の面談で娘はここだ!とピンと来た

学志舎の戸を叩いたのは中学3年の4月のことです。それまで娘は習い事のバレエに夢中で勉強と言えば定期テストの直前に3夜漬けのみの状態でした。それが怪我による将来の夢への挫折、治療過程での医療への興味と段階を経て、医師を目指したいと言うようになったのです。そして医師になる為にはやはり都立のトップ高を目指さねばならないと考えるようになりました。そこから娘の強い希望で塾探しが始まりました。私自身は塾なんてどこも同じかなと思っておりましたが、学志舎の面談で娘はここだ!とピンと来たようです。

 合えば本当に学力が伸びます。

学志舎(特に難関コース)はインプットよりもアウトプット中心の指導であると感じました。ですから合う合わないはあると思います。合えば本当に学力が伸びます。娘もメキメキと学力を伸ばし、無事に第一志望校である都立西高に合格をいただきました。ここで満足することなく、夢に向かってさらなる努力を重ねて行くことを願っています。その後押しをしてくださった塾長と村岡先生には感謝してもしきれないほどです。本当にありがとうございました。

都立西高校(M様)

図1

この2年間、ひとかたならぬ熱いご指導を頂きまして、本当にありがとうございました。おかげ様で志望校の都立西高校に合格する事が出来ました。

ここなら集中してやれそうなので入りたい

 中学1年の頃は某通信教育で自宅学習をしておりました。定期テストではそこそこ上位に入っていましたが、受験の情報も得ていきたいという思いもあり、塾を探し始めました。たしか「三鷹 塾 西高」の検索で学志舎がヒットしたと思います。ネットで拝見したエネルギッシュで魅力的な内容にひかれて、学志舎に体験入塾をさせて頂きました。教室に伺わせて頂いた時、鉛筆を走らせる音しかしない静まり返った教室と、一心不乱に勉強している真剣な生徒の皆さんの眼差しを見て素晴らしいと思ったものの、果たして本人の意思はどうだろうか と確認したところ、ここなら集中してやれそうなので入りたいと希望があり、早速、入塾を決めさせて頂きました。

 セミナーの内容は想像以上・期待以上の素晴らしいものでした

親の目線から学志舎を語らせて頂きますと、一番素晴らしく為になったことは親を集めて開催された「セミナー」でした。塾でこの様なセミナーがあるという話は一度も聞いた事がなく、どの様な内容なのか参加するまで想像がつきませんでしたが、セミナーの内容は想像以上・期待以上の素晴らしいものでした。特に感銘を受けたことは 「子供を見守ること(余計な口出しをしない・黙って見守る)」「人間は2つの場所(行く場所・帰る場所)がある。家は帰る場所・安らぐ場所であるべきなので、休めなくなる様なプレッシャーはかけない」ということでした。他にもいろいろと勉強になるお話はありましたが、この2つは絶対に守ろうと夫婦で話し合いをしました。

 「見守る」というシンプルなことが非常に大変

ただ、この「見守る」というシンプルなことが非常に大変でした。塾から帰ってきた娘は、塾で集中しきった反動からか、家で勉強をすることがあまりありませんでした。何度となく、塾の内容の復習はしなくていいのか?西高を目指すのであればもっともっと勉強しなくてはいけないのでは!と娘に怒ったり、説教をしてしまいそうでしたが、その度にセミナーで教えて頂いたことを思い出して何とか堪えました。3年生の秋・冬と受験勉強もいよいよ佳境に入ってきても娘の家での態度・状況は変わることはありませんでしたが、いつの頃からか塾から帰宅すると、真っ先に母親のところへ来て「今日は塾でこんなことがあった。」「先生があんなことを言っていた」「先輩方がいろいろ教えてくれた」などと話をしてくる様になりました。黙って見守り続けることで、もしかしたら娘にとって家が帰る場所になり、話すことでプレッシャーが和らぐ様になってきたかもしれないと感じておりました。

 受験に向けての取り組みに弾みが付いた

受験生の親としての悩みは、学志舎でお世話になっていましたので少なかった方だと思います。一番心配をしたのは部活のことです。娘は吹奏楽部なので夏にコンクールがあり、仮引退が810日頃でした。夏期講習に後れを取るのではないか・・・との焦りもありましたが、布施先生、村岡先生から「最後までやりきっておいで!」と言って頂き、部として7年振りの金賞を取って仮引退することが出来ました。部活動をやりきり、結果を残してきたことで受験に向けての取り組みに弾みが付いた様に感じました。部活と夏期講習を行ったり来たりしている期間はハードそうでしたが、たまに先生にアイスを買って頂いて、塾生の皆さんと公園で食べ、おしゃべりをして息抜きが出来ていた様です。

 精神的にも体調も非常に安定して過ごしていた

11月。中3生にとって内申が決まる定期テストが終わった頃だったと思うのですが、娘が学志舎から帰宅をすると、先生が「自分達(布施先生、村岡先生)以外の言葉は信じるな!」って言っていたんだよと話してきました。学校の面談で(もしかして西高受験は考え直した方がよいのか・・)と弱気になっていた時だったのですが、その言葉を聞いて親の私達も迷いは吹っ飛びました。娘は推薦入試には挑戦せずに、一般入試で頑張るという選択をしました。最後の模試が終わってからも引き続き学校から帰ると学志舎に行くという日々でした。ある日思わず「嫌じゃないの?」と聞いたところ「全く!」と笑顔で答えました。自分の部屋に布施先生、村岡先生からのお言葉を書いた紙を何枚も張っていました。「当日、自分以外に誰が受かるの?」「行くぜ!西高!」等です。精神的にも体調も非常に安定して過ごしていたと思います。受験生がいるピリピリした空気は全くなかったです。

 「嬉し涙を流すこと」

試験当日の朝は意気揚々と出かけて行きました。しかし、数学が出来なかったのでもう駄目だと落ち込んで帰ってきました。それまで良い状態でいた娘との落差に、思わず先生に弱音を吐くメールをしてしまいましたが「果報は寝て待てです!」と励まして頂きました。娘を信じながらも、ドキドキしながら合格発表の日を迎えました。番号が掲示され自分の番号を見つけて、何度も飛び上がって喜びながら嬉し涙を流している娘を見て、とても胸が熱くなりました。人生ではいろいろな涙がありますが、「嬉し涙を流すこと」は人生でとても素晴らしい体験だと思います。必死になって努力を重ね、挫折しそうになった時には周囲の人々に支えて貰い、自分自身を励まして、最後に結果を出すことで初めて自然にあふれ出てくる涙が、「嬉し涙」です。

 思いが叶った

受験勉強を通してただテストに合格するだけでなく、努力をして人間的に成長して欲しい。努力を積み重ねて目標達成に邁進し、成果を出すという成功体験をつかんで人生を生き抜いていくバックボーンを形成して欲しいと願っていましたが、今回の合格の結果で、その思いが叶ったのかなと感じております。入塾直後から「学志舎に入塾できて良かったね」と家族で話をしておりましたが、4月の親セミナーの感想で「西高合格の結果を出すことで娘も私たちも先生方も幸せになれることを目指して、私自身出来る限りのことをして参ります」と感想文に記載させて頂いたことを思い出しました。

 日本で一番アツイ。歴史上で例えるなら松下村塾

今回、布施先生、村岡先生、卒塾生の先輩方、同級生の皆様に支えて頂き、娘が頑張ってくれたことで、この様な結果となったことをとても感謝致しております。いろいろとありがとうございました。今後は卒塾生としてこのご恩をお返ししていけたらと思っています。学志舎のキャッチフレーズは「三鷹で一番アツイ」と思いますが、私は心の中で「日本で一番アツイ。歴史上で例えるなら松下村塾だ」と勝手に思っておりましたことを最後に告白して、この文章を締めさせて頂きます。