合格体験記&親御様メッセージ(2024年 都立青山高校:Kくん) 

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Kくん

入塾

僕は中1の時、某大手塾に通っていましたが、自分には合わず成績も上がらなかったため、転塾することにしました。その際、母が学志舎を候補として挙げましたが、学志舎は新宿にある自宅から遠かったため、最初は気乗りしませんでした。しかし、体験授業で初めて学志舎に行ったところ、教室内は静まり返っていてペンを走らせる音しか聞こえず、その雰囲気に圧倒されました。自分はここでなら成長できるのではないかと感じ、入塾を決意しました。

内申up(中2)

入塾当時、僕の内申は30」ととても低く、応用クラスに入りました。行きたい高校もなく、目標がなかったせいか勉強意欲もわきませんでした。学志舎にも初めは何となく通っていただけでした。

しかし、学志舎の塾生のレベルの高さに、「このままではついていけなくなる・・・!」と感じ、少しずつ勉強にするようになりました。中2の3学期には素内申37まで上げることができ、難関クラスに入る基準を満たしていたため、さらに頑張ろうと、中3からは難関クラスに移りました。

志望校の決定

中3になりいよいよ志望校と向き合う時期となりました。家から近い都立高校をいくつか見学に行き、その中の一つが青山高校でした。僕はサッカーも野球も大好きなので、国立競技場や神宮球場がすぐ近くにあるという立地は非常に魅力的でした。見学では、生徒会長による学校紹介のプレゼンテーションがとても心に響きました。青山高校を第1志望に決めたのはその時です。志望校を決めたことで自然と勉強に身が入るようになっていきました。9月には、青山高校の文化祭である「外苑祭」にも行き、クラス対抗ミュージカルのクオリティの高さに感銘を受け、「絶対に青山に行きたい!」思いました。

内申up(中3)

内申を上げるために、テストで高得点をとるのはもちろん、提出物をしっかり出す、授業中に積極的に発言することを心がけました。僕は理科がとても苦手で、2年生の頃には「2」をとりそうになったほどです。しかし、他の教科よりも時間をかけて取り組むことで、だんだんと点を取れるようになり、最後は「5」をとることができました。

また、僕は体育の実技が得意で、1学期の体育のテストでは学年トップの90点。「5」は堅いと思っていました。それにもかかわらず、1学期の体育の評定は「4」。納得がいかず、先生に何が足りないかを聞きに行き、2学期は言われたことを実践しました。自信をもって臨んだ2学期の体育のテスト、結果はまさかの69点でした。この点数を見て僕は、「5」は絶対無理だと思いました。しかし、少しの可能性を信じて、●●(※部外秘)をしたり、●●(※部外秘)をしたりしました。こうした努力が実り、なんと2学期の体育は「5」をとることができました。美術、技術家庭は実技が大の苦手だったため、実技で取れない分、テストでは9割以上を狙いました。こうして、最終的には「2学期の素内申43」まで上げることができました。

モチベーションの保ち方

過去問を解いていて点が取れなかったり、模試の判定が悪かったりした時には「本当に合格することができるのだろうか?」と不安に思うことがあります。そのような時には志望校のサイトやパンフレットを何度も見返し、志望校にいる姿を想像して、自分を奮い立たせていました。

また、学志舎で仲の良い友達が全員推薦で合格した時には、自分一人が取り残されたように感じました。しかし「絶対に一般で受かって、友達に追いついてやる!!」と自分に言い聞かせ、一般入試までモチベーションを保つことができました。

後輩へ

学志舎の強みである自習室を最大限活用しましょう。毎日、自立学習に行くことを強く推奨します。学志舎の自習室ほど勉強に集中できる環境はありません。最初はきついかもしれませんが、自立学習を継続することによって長時間勉強できるようになっていきます。僕は家だと集中できませんでしたが、勉強の妨げになるものが一切ない学志舎では、集中して長時間勉強ができました。そして、自分に自信を持ってください。学志舎ほど膨大な演習量をこなす塾はありません。先生を信じ、最後までひたむきに努力してください。応援しています。

先生方へ

僕は学志舎に出会えたからこそ青山高校に合格できたと思っています。布施塾長や村岡先生をはじめ、最後まで僕を信じてサポートしてくださった先生方、本当にありがとうございました。

親御様

布施塾長、村岡教室長、お世話になった先生方

このたび息子は、憧れだった青山高校に合格することができました。ひとえに先生方のご指導の賜物です。何とお礼の言葉を申し上げてよいかわかりません。息子に、青山へ合格するだけの力をつけていただき、本当にありがとうございました。

9教科内申30から43へ

中1の1年間は大手塾に通わせておりましたが、息子は勉強が嫌いで、ただ「通う」だけの日々でした。大手塾は自分から勉強するお子さんには合うのでしょうが、そうでない子に「やる気を出させるような働きかけ」はありません。

息子のやる気が出るのを待とうと、しばらく様子を見ておりましたが、成績は下がり続け、とうとう中1の2学期、9教科内申30という通知表を持って帰ってきました。「これはまずい・・・!」と危機感を感じ、すぐに転塾先を探しました。学志舎とC塾が候補となりました。どちらも教務力と実績はもちろんのこと、塾長が熱い信念をお持ちで、その薫陶を受けた生徒たちが、やる気に火をつけて結果を出している、そのような塾だと思ったからです。

通いやすさは塾選びの大事なポイントですが、C塾は我が家からは複数の交通機関を乗り継がねばならず、通うのは難しそうでした。学志舎は、ちょうどそのタイミングで三鷹駅校が開設されると聞き、何やらご縁を感じ、息子と二人で見学に伺いました。そのとき布施塾長が、詳細データを用いて説明してくださったことを覚えています。塾長から志望校を聞かれ、息子は(なぜか?)新宿高校と答えましたが、私は共通問題校の上位校に入れたらそれで十分、と考えておりました。その2年後、まさか青山高校に合格をいただくことになるとは思いもしませんでした。

目標を定める

学志舎に通い始めてからは、成績は少しずつ上がっていきましたので、親は口出しすることなく見守っておりました。ただ、3年生になってもまだ本気になっていない、エンジンがかかりきっていない息子の様子を見て、はがゆい思いで眺めておりました。

それは、「心から行きたいと思う高校」がなかったからだと思います。新型コロナウィルスの影響で、都立高校は見学会を実施しておらず、中学生には「高校を知る」機会がほとんどありませんでした。見たこともない高校に対して、志望度を上げようがなかったのだと思います。

中3の夏休み頃からようやく学校が見学の門戸を開き始め、予約をとるのは至難の業でしたが、幸運にも青山高校の見学会に参加することができました。見学後、普段はクールな息子が「青山、すごくよかった!来てよかった!青山に行きたい!」と熱く話しておりました。外苑祭にも足を運び、さらに青山ヘの思いを強くしたようです。

模試の判定

青山を第1志望と定めてからの息子は、一気にエンジンがかかり、まるで火の玉のようでした。授業がない日も毎日自習室に通い、最後まで残って勉強していました。本当によく努力をしたと思います。

10月のV模擬はC判定、直前でもB判定でしたが、息子の青山への思いは揺るぎませんでした。数年前、我が家の長女が自校作成校を受験し、A判定、S判定で大丈夫だろうと楽観視していたところ、まさかの不合格。親としては正直、「B判定では難しいのではないか。息子は私立の併願校へ進学することになるだろう」と思っていました。ただ、結果はどうあれ、目標に向けて全力で努力できたことが尊いと、親としてはそれだけで十分満足だったのです。


そんなふうでしたので、当日自己採点をして、「絶対受かった!」と息子から聞いたときは、信じられない思いでした。これから3年間、息子が健康で充実した高校生活を送れるよう願うばかりです。高校では先生や友人との出会いを通じて、勉強する意味、大学に行く目的を見定め、進んでいってもらえたらと思っています。

学志舎について思うこと

学志舎は、受験において素晴らしい結果を出している塾です。一方で、先生方は生徒たちの先々を見据え、高校受験を一通過点として捉え、「将来、社会に出て活躍できる人財を育てる」という視点で育成されているように感じます。

息子は学志舎で先生方からは薫陶を、塾生の仲間からはたくさんの刺激を受け、大きく成長することできました。この先も進路等について、息子から相談させていただくことがあるかと思います。その際は、どうぞよろしくお願いいたします。最後になりましたが、学志舎の今後のご発展、先生方のご健康とご活躍を心よりお祈りし、結びの言葉とさせていただきます。

この記事を書いた人

(千葉県立東葛飾高校→早稲田大学政治経済学部経済学科→IT企業→学志舎)人一倍真面目な性格でとにかく「正攻法」で問題と向き合う。自身が私立最難関大に現役合格した際の「正しい努力」の仕方を伝授。日々感じる「塾生の成長」はやりがいを越えて、もはや生きがいに。担当科目は国数英社理の5科目すべて。入社一年目にして都立推薦入試の小論文担当責任者に抜擢。頻出テーマごとの構成メモは受験生必読。都立立川高校の推薦入試では4名中3名を合格に導くなど、その指導力は秀逸で塾生からの信頼もあつい。目下、「都立推薦入試の小論文といえば学志舎の佐藤」と呼ばれるような存在を目指している。

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