学志舎の先生は「腹から声を出す」「明るい、じくじりトーク」を大切にします

【写真】ディズニーシーで見かけたアラジンの「ジーニー」
彼の「相手を喜ばせたい」というサービス精神をもっと見習わなければなりません。
先日、解説用プリント作成(都立国立高校の過去問)を依頼していた卒塾生バイトの子に
「過去問、懐かしいやろー?チェックしてたら思い出してきたんとちゃう?」と聞くと、
「チェックしていると、塾長の声が耳から離れません。ムチャクチャ印象に残っています。」と嬉しいことを言ってくれました。
このように卒塾して数年経っても「忘れられない先生」になりたいものです。
そのために大切なことはまず「腹から声を出す」ことだと思います。
授業は「一期一会」のつもりで臨むべきで「今、この授業が最後の授業であり、明日はできない」と思い、悔いを残さぬよう腹から声を出し、教室にいる全ての塾生が聴こえる声でその熱い思いとともに解法、解説を伝えていく。
結果、授業後の先生は疲労困憊の状態でベストを尽くしたと自分に言いきれるくらいでなければなりません。その上で塾生の反応から改善を要するところは次回に向けての課題としていく。決して、その場しのぎの授業なんてしてはいけないのです。
長丁場の講習期間であっても朝から全力で短距離走を走りきる。長距離走のペースでやってしまうと、塾生もどこかのんびりしてしまいますので。
ですから、熱い思いをもって「腹から声を出す」が学志舎の先生の基本スタイルになります。
次に「明るい、しくじりトーク」です。
人と人の心の距離を縮めるためには自分から自分のことをオープンに話すこと、特に失敗談が有効です。
「カッコつけより、ズッコケ」がいいのです。
私の授業は私自身のズッコケ失敗談で溢れています。見た目はいかつい体育講師で、経歴も自衛隊。そんな人が体育ではなく数学を分かりやすく教えていく。そのギャップに加え、解説の合間には失敗談をどんどん繰り出してくる。だから笑ってくれる塾生がいて、帰宅後、親御さんに共有されていくのです。
なぜそのようなスタイルになったのか?まず私自身、塾生から好かれる先生でありたい、モテたいと思ったことがなく、自分がどう見られてもどう思われても構わないと考えているからこそ、失敗談を躊躇なく語れるのだと思います。
私の興味は「目の前の塾生がどう前向きに変わるか?成長できるか?」であり、その過程において、私への評価なんてどうでもいいのです。
(評価と言えば余談になりますが、学志舎には合格実績、塾生数といった数字目標、ノルマが一切ありません。素直な性格の先生たちが数字目標を気にすることなく「全ては塾生の成長ために」できる限りのサポートを日々実施できる環境になっています。)
ですから「明るいしくじりトーク」が様々なストレスを感じている小中学生にとっての「一服の清涼剤」となるよう、これからも授業で展開していきたいと思います。※最後にネット上の投稿でいいなと思ったものがありましたので、ご紹介します。
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英語の先生にはとても愛嬌がありました。自身の過去の失敗談や、受験生時代の得意・不得意も包み隠さずに明かしてくれました。国語の先生は流行に敏感で、若者が好きな音楽や漫画を好んでいました。生徒たちとも趣味が合い、その話を授業に絡めながら、関心を惹くのがとてもうまかった印象です。
当時の私にとって、こうした人間味あふれる先生方は、自分達とは違う“大人”ではなく、同じ人間なんだと感じられました。自分の世界に生徒を引き込める人は、まるでアナウンサーのような「腹式呼吸による発声」の使い手であることが多かったのです。私語が目立ち、生徒が集中できない講義は、講師が前の方でボソボソ話している場合があります。もちろん授業自体は有益なのですが、大多数を自分の世界に引き込むことはできません。後ろの席に座っている生徒には「そもそも聞こえない」のですから、集中が途切れるのも無理はありません。
しかし、私がお世話になった英語や国語の先生は、お腹を膨らませて、生徒たちの耳の奥まで響く声を出していました。この発声方法が、ただでさえ有益な授業の魅力をさらに引き立てていたのです。大教室の前に座っている人にも、後ろに座っている人にも平等に話が伝わるので、座席による不公平感も生じませんでした。先生方の声が枯れることもなく、いつも最後まで安定して聞き取ることができました。これらは意外と重要なポイントであり、生徒を魅了する大きな要因になっていたように思います。