親御様メッセージ(2022年 都立西高校:Hくん)
学志舎への入塾は、長女と同級生のお母様からのご紹介でした。「本当に素晴らしい塾よ。絶対(私が)気に入ると思うよ!」と大絶賛されての紹介でした。とはいえ、入塾するのは私ではなく息子。彼にはどうだろうか?と思いつつ、3年前のちょうど今頃、息子と体験授業に伺いました。そこで先生から「ここはアットホームに楽しく和気あいあいと勉強、と言うような塾じゃないよ。真剣に勉強する人が来るところ。もしも勉強が嫌いなら入塾しても辛いだけだからやめた方がいいよ。」といきなりの先制パンチ(笑)。きっと息子は首を縦には振らないだろうな、とその場で諦めていました。しかし念のために帰り道に聞いてみると、どういうわけか即答で「行く」とのこと。このようなご縁で学志舎にお世話になることになりました。
息子は入塾当初から、内申も偏差値もずっと安定して低空飛行。そのうち上がるだろうと呑気に構えていましたが、気が付けば受験まであと1年を切っていました。難関クラスに在籍しているにもかかわらず、中2学年末の通知表は、見事なまでにほぼ3と4で埋め尽くされておりました。素内申33。念のため何度か電卓を叩いて確認しましたが、やはり33。学志舎通信に掲載されている先輩方の、輝かしいばかり内申を見て眩暈を覚えました。もちろん当時、まさか1年後に息子が西高に合格するとは全く予想しておりませんでした。
そんな状況の中、春休みの春期講習の合間、(無理であることは重々承知ながら)2人で西高を初めて見に行きました。見たところでこの絶望的な状況がどうにかなるわけでもないのですが。不安ばかりの私とは対照的に、楽観的な息子は「3年生になったらちゃんとやるから大丈夫」と。本人がそう言うので、もしかしたら3年になれば内申も大きく上がるかも、などと淡い期待を抱いておりました。
ところが1学期の成績も素内申35。2上がったとはいえ、どんなに2学期頑張っても1学期が35であれば、(2学期の成績は1学期との合算になるので)伸びしろにも限度があります。特に副教科は3年間ほぼオール3だったので、実技が不得意な息子が2学期に挽回するのは大変厳しい。これでは奇跡でも起きない限り西高受験はもう絶望的。西高どころか、そもそもこの素内申、この偏差値で受験できる自校作成校が果たしてあるのかも疑問でした。西高の説明会には一応参加しましたが、もうそんな夢を見ている場合ではなく、他の色んな都立高校も積極的に学校見学に行くように勧めました。(しかし逆にいろいろな高校を訪れたことで、やっぱり西高がいいという気持ちが大きくなっていったのかもしれません。)
出てしまった一学期の内申は変えられないので、変えられるこれからのことに集中して「今後内申アップのためにできることは何か」を、各教科の先生に頂いたアドバイスをもとに、息子は具体的に出来ることを紙に書いて机に貼りました。私もあれこれ口を出したかったのですが、内申も偏差値も思うように伸びず本人もイライラしている様子で、さらに反抗期真っ盛り。もうこれは学志舎の先生方にお任せして、本人を信じて見守るしかない状況だと悟りました。
ありがたいことに夏休みはほぼ毎日、朝から夜遅くまで夏期講習・自立学習と塾をオープンにして下さり、また素晴らしいお友達に恵まれたお陰で、勤勉とは程遠いタイプの息子が少しばかり受験生らしい夏を過ごすことが出来ました。そして2学期に入り、自立学習の日にも自ら塾に通うようになり始めました。少しずつ受験モードに入ってきているのが態度に現れるようになりました。
そして2学期の仮内申発表日、例えどんな結果であっても「頑張ったね」と言える覚悟を決めていました。(何なら下がっている可能性も無きにしもあらずで。)
ところが予想外に息子の口から出てきた言葉は驚きの「40」。
・・・いやいや、あなたの足し算間違いか、先生の言い間違いかのどちらかでしょう、と何度も尋ねたのですが、「間違いない」と。学校や塾での様子をほとんど話さない息子なので、一体どうやって2学期の内申を5上げることができたのかは未だ不明です。でもきっと学志舎の先生方から、どのような態度で授業に臨むべきか、また提出物についても大切なポイントを教わり、それを実践した結果なのだと思います。
西高が突如、息子の志望校として浮上してきた日でした。
それをきっかけに本人もヤル気を出し始めたようで、帰宅後、急いで塾に行くようになりました。そして、それまでC判定すら取れなかったV模擬が、12月に初めて一気に西高B判定に。もしかして、これはもしかするのかも・・・。それまで全くイメージできなかった息子の西高生像がぼんやりと見えてきました。そして本人も、迷うことなく西高を第一志望に掲げ、ようやく学志舎生らしい塾生になっていきました。
学志舎では憧れの高校の先輩方が激励に来て下さり、お菓子、時には直筆メッセージを書いたものを差し入れて下さいました。特に憧れの西高の先輩から頂いたお菓子を息子は大切にとっており、入試本番の昼休みに食べると言って、受験当日はお守りのようにそれらを持っていきました。卒塾面談の際に聞いたのですが、試験当日の昼休みにそれを食べた時、とてもテンションが上がり午後からの試験も頑張れたそうです。受験直前はコロナ感染者数が日ごとに増える中、とにかく無事に受験できるように体調管理に気を配りました。また、学志舎でここまで頑張ってきたのだから絶対大丈夫、という気持ちでひたすら息子を信じて見守り続けました。
合格発表当日、どんな結果であろうとも、自分の努力を誇りに思ってほしいと願いながら、別室で本人が合否確認するのを待ちました。
長い沈黙・・・長い、長すぎる。これはやはりだめだったか、と思った瞬間、「よっしゃ!」という非常に結果が分かりやすい息子の声。1年前には遥か彼方にあった西高に本当に合格してしまったのです。(長い沈黙の理由を尋ねると、縦に並んでいる受験番号を、なぜか息子は横に並んでいると勘違いし、下二桁が58から82に飛んでいたので落ちたと思ったそうです。その後、番号は横ではなく縦に並んでいることに気づき、ようやく見つけたとのことでした。)
合格後の卒塾面談で息子とともに訪れた時、息子の礼儀作法、そして先生方を心から尊敬している息子のまなざしに感動しました。こんなに尊敬できる大人に中学時代に巡り合えた息子を本当に羨ましく思いました。また、面談で先生方から「高校で部活は?」の質問に、(私は帰宅部まっしぐらだと思い込んでいたので)息子が運動部の名前を挙げたのには椅子から転げ落ちそうなくらい驚きました。が、きっとこれも先生方の影響だと思います。面談後、教室を後にして息子が、「学志舎無しでの西高合格は絶対にありえなかった」と言いきって、感謝の言葉をつぶやいておりました。
3年間の学志舎生活で、息子は先生方から多くの影響を受け、西高合格と、そしてそれ以上の素晴らしいものをたくさん学ばせて頂きました。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。