埴村先生
埴村先生
小学生時代
三鷹市立南浦小学校に入学。1年生の秋から野球チーム(連雀スパローズ)に所属し、楽しく練習していました。小学校中学年では、父曰く「根性をつけるため」との理由で三鷹警察署の柔道スクールに半ば無理やり通わされていました。当時はやめたくて仕方がなかったのですが、今思えば武道に接したことで礼儀を知り、精神的にも成長できたとても良い経験でした。5年生からは野球に専念するために柔道をやめ、いわゆる野球少年として過ごす毎日でした。
中学生時代
三鷹市立第一中学校に入学。外部の硬式野球クラブに所属して、日々練習に励んでいました。レギュラーにはなれず、自分の野球人生では一番苦しい経験をした時期でしたが、諦めない心を身につける大切な経験でもありました。
学志舎との出会い
中学3年生の7月に野球の最後の大会が終わり、高校受験を意識し始めましたが、塾選びには全く関心がありませんでした。当時の学力は可もなく不可もなくといったところで受験に対する焦りや不安もほどんとなく、家から近い都立高校に行ければいいと考えていました。そんな中、母が探してきてくれた塾が「学志舎」でした。父も布施塾長の経歴を見て、「防衛大卒なら大丈夫」との理由で即決だったとか。
ただ、塾が決まっても私の意識はまだまだ低く、夏期講習の授業が15時頃に終わるため「そのあと遊べるじゃん」という今から考えると信じられないようなことを考えていました。実際、講習初日の授業が終わり帰ろうとしたところを塾長に引き留められ、また他の塾生が無言で自習席に移動していく様を見て「あれ…そんなはずじゃなかったのに…」と困惑したことを今でも鮮明に覚えています。それからは周りの塾生につられるようにして授業と自立学習を繰り返しました。何度考えても分からない問題は塾長に相談しに行けば秒速で解決し、夏休みだけでもグングンと学力が向上した実感がありました。
夏期講習が終わる頃、塾長との面談で都立武蔵野北高校への合格を目指すことに決まりました。その時はまだ自信がなく、半信半疑であったことは事実ですが、塾長の「君なら絶対に出来る」という言葉を信じて、毎日オープンからクローズまでの16:00~22:00、必死に勉強し、他の塾生とも切磋琢磨しました。年末には明大付属中野高校へのチャレンジ受験をすることも決め(後に合格)、その時期からは自分に自信をもって勉強することができたと思います。
年始の過去問演習で満足に得点できないなどの紆余曲折がありながらも、作戦通りに得意科目の英数理でしっかりと点数を稼ぎ、当日420点以上のハードルを乗り越えて「都立武蔵野北高校」に合格しました。学志舎に通った期間は半年程度と短い間でしたが、平坦な道を選びがちな自分にとって挑戦し、努力することの大切さと、背中を押してくれる存在の心強さ・有難みを感じる貴重な経験となりました。
高校生時代
都立武蔵野北高校に入学。当初は学校行事や部活動が非常に充実しており、順調な学校生活を送っていましたが、勉強の難易度が上がるにつれて部活動とのバランスが取れず、勉強が疎かになりました。思えば誰かに背中を押されてきた人生であり、自ら進む道を選んだという経験はありませんでした。背中を押されるだけの人生ではいけないと感じ、悔いのないように自分の人生は自分で決めること、そして実現に向けて計画性を持つことの大切さを学びました。
大学生時代
ものづくりへの興味から専門的なことを学びたいと考え、大学では理工学部に入学。ロボット系のゼミに所属し、「磁気浮上ロボット」という磁石を用いた移動ロボットの設計・制御についての研究を大学院卒業まで行いました。大学1年生の秋頃、塾長から学志舎を卒業して以来初めて直接の連絡を頂き、学志舎にとって初のアルバイト講師を務めました。理数を中心に、受験生への過去問解説(オリジナル解説プリント作成)や中1・中2クラスの授業などを大学院卒業までの約6年弱担当しました。講師という立場でありながら、生徒たちが熱心に勉強をする姿に強い刺激を受け、自分自身も気を引き締めて大学生活を過ごすことができました。
電化製品メーカーでの勤務を経て、学志舎に参画
ものづくりへの興味は変わることなく、大学院卒業後はパソコン・スマートフォンの周辺機器などを取り扱う大手電子機器メーカーへ入社し、ケーブル商品の企画・設計検査や発売するまでのマネジメントを行いました。約2年半勤務し、特に目標を達成するためのプロセスを計画的に実行するタスク・スケジュール管理の重要性や、リスク対策力が身についたと感じています。一方、専門的な知識のインプットとアウトプットを繰り返す中で、自分なりの言葉で物事を伝えることが自分は好きだと感じ、講師という職業が向いているのではないかと考えるようになりました。また、漠然とした「お客様」ではなく特定の「個人」にフォーカスをした仕事がしたいと考え、塾長・村岡先生に志願をし、2024年11月に入社いたしました。受験は「第一志望校への合格」という明確な目標がどの生徒にもあると思います。その目標を達成するために、「いつまでに、何をしなければいけないのか?」を生徒ひとりひとりと一緒に考え、計画的に学習を進めていく後押しをしたいと考えております。