防大 同期との再会@宮崎

2603 アメフト場

【写真】
大学4年の夏合宿。一番左がイノシン。塾長は前列右から3番目。

週末は宮崎へ。15年前に他界した防大同期の井上くん(愛称:イノシン)のご実家に皆で集まる会(イノシン会)に参加してきた。コロナ期を除き、毎年3月の彼の命日近くに同期たちが集まる。陸上自衛隊の連隊長、海上自衛隊の護衛艦艦長、航空自衛隊の基地司令などそれぞれが日本各地、あるいは世界で任務に就き、重い責任を背負って生きている中、この日のために予定を調整する。彼との思い出話をし、近況を語り、「お前に恥じないように生きてるよ」と報告する。それがイノシン会だ。そこに彼はいない。だが、確かにいる。僕たちの心の中に。

自分たちの期は他の期より仲間の絆も強くなく、皆で集まって飲み会とかもほとんどなかったのだが、彼のおかげでこうしてみんなが年に一回集まるようになり、年々その絆を深めることができている。その中心にいるのがイノシンのお母さんだ。イノシンと関係があった防大や陸自の部隊のお子さんに「イノシンサンタ」として毎年クリスマスに本を送ってくださっていた。私の家も毎年、娘2人にそれぞれ本をプレゼントしていただいていた。そのような中、先日、沖縄勤務となった同期がお母さんに対して「感謝状」を発行し、表彰式の中でお渡しした。感謝状の内容を見ると全国の陸海空の自衛官、最大77世帯のご子息ご令嬢140名に対して、毎年のように本を送っていたとある。頭が下がる思いだ。お金はもちろん、その手間と継続が大変であることは想像に難くない。

感謝状

私の母とも交流があり、滋賀県に遊びに来ていただいたこともあるが、私の母はイノシンの話になるといつも言う。「自分が仮にイノシンのお母さんやとして、果たして同じようなことができるか?自信ないわ。自分の大切な子を失った中で、同期の子たちと会うのは、喜びでもあるんやろうけど、やはりお子さんを思い出す悲しみの時間にもなるんとちゃうか。そのような中、本をプレゼントし続けるなんて誰にもできることやないで。あの人はすごい人やわー。」と。私も親になった今、想像することができる。子どもを失うより辛いことはない。昨日も宮崎空港からイノシンの実家に向かう車中でお母さんがおっしゃっていた。「ガンの闘病時、あの子は我慢強い方ではあったけれど、どれだけ痛くてつらかっただろうか。“大丈夫、痛くない”っていつも言っていたけど、本当は相当痛く、辛かったに違いない。代われるのなら自分が代わってやりたかった。それを思うだけでいつも涙が出る。」と。

イノシンは大きな男だった。体が大きかった。声が大きかった。笑い方が大きかった。そして何より、心が大きかった。防大46期で、彼を知らない者はいない。鍛え抜かれた防大生の中でも、彼の体格はひときわ目立った。巨体を揺らし、豪快に笑い、誰よりもまっすぐに人を信じた。アメフトボールに寄せ書きを書く機会があったのだが、僕はそこにこう書いた「俺はイノシンのような人になりたいよ」って。北斗の拳に登場する「山のフドウ」のような心優しき大男だった。

彼が亡くなる前、僕は彼とメールのやりとりをしている。同期からイノシンがガンになって入院していると聞き、僕は「大丈夫か?仕事が一段落したら必ず会いに行くよ。」とメールを送信した。彼からの返信は「布施ちゃん、仕事頑張って。俺は俺で頑張るから。そして自分で大丈夫だと思っていても体を大事にしてね。」という内容で、病床にある人間が相手の体を気遣う。実にイノシンらしいものだった。そして、そのメールが僕が受け取った彼の最後の言葉になった。

僕は学志舎を立ち上げて1年目。生まれたばかりの長女もいる中で、仕事のお休みはお盆の4日間と年末年始の3日間のみで、土日祝日もすべて自分が出て授業をしていた。毎日、必死だった。当然、1年目で実績も信用もゼロの塾に通う人はほとんどおらず、塾生は10人程度。その中で一人一人に満足してもらうべく、夢中で駆け抜けた1年だった。その1年がなんとか都立高校の合格発表で一段落した夜、同期からメールが来た。イノシンが亡くなったと。そのメールを見て、僕は頭が真っ白になった。思考が止まり、時間が止まり、世界が音を失ったようだった。そしてやがて、一つの後悔だけが残った。僕は彼に会いに行かなかった。

確かに仕事漬けの1年だった。けれど、1日。そう、たった1日でいい、何とか休みを取って、彼に会いに行けばよかったと。4年間、防大で一緒に釜の飯を食べ、同じ泥の中を這い、同じ汗を流した同期であるイノシンが苦しんでいるのに、なぜ顔を見せに行かなかったのか、なぜ彼の手を握って励ましに行かなかったのかと。

その訃報の後、急遽、お休みをいただき、単身、宮崎のイノシンの実家に向かった。墓前で涙が止まらなかった。嗚咽も出た。自分の人生で一番泣いた時だった。なぜ、こんないい奴が。人一倍大きい体で、丈夫だったイノシンがなぜなんだと。そして、なぜ俺は、たった一日の休みすらも取らず、彼に会いに行かなかったのか。その後悔の念が猛烈に押し寄せてきた。たしかにあの頃は追い詰められていた。学志舎は存続の瀬戸際。早朝から昼過ぎまで宅急便のバイトで何とか食いつなぎ、バイトの後は夜まで塾の授業。

けれど、自分が大変って思っていることなんて、全然大したことなんてないんだとイノシンを前にすると思えた。仮に塾が倒産したとしても、どこかの会社に入ってまたゼロから必死で働けばいいだけの話だ。だって、自分は生きてるんだから、何でもできる。でも、イノシンは、、、。当然、イノシンはもっと生きたかったはずだ。まだ30歳少しで人生、これからだった。やりたいこともいっぱいあったはずだ。その彼の無念を思うと本当に言葉にならない。

彼の誕生日である10月6日には、イノシンのお母さんに電話をするようにしている。「イノシン、今日、誕生日ですね。喜んでますよ。」と話すとお母さんも「あの子の好きだった食べものをお供えしたとこなんよ、布施さん、ありがとうねー」って嬉しそうに話をしてくださる。わずか10分程度の電話のやり取りでも、お母さんと一緒にイノシンの誕生日を祝うことができたら、僕としても嬉しい。

また今回もお母さんのサポーターとして、同期が前日から宮崎に行き、色々とお母さんの身の周りのお世話をしてくれた。また、お母さんが東京に来る際は、空港まで車でお母さんを迎えに行き、防大に案内する同期がいたり、各基地で重職に就く同期がお母さんをお呼びして、基地内を見学してもらったりと、今やイノシンのお母さんは僕らにとってのお母さんになっている。

宮崎に向かう機内で雪景色の富士山を眺め、塾生の合格を祈願した。

2603 富士山
富士山

東京への帰路では母校である防大を視認することができた。

2603 防大
防大

先週、中3生向けに実施した「最後の授業」で伝えたが、防大は僕にとって「第2志望の学校」だった。決して自分から進んでいきたいと思って行った学校ではない。朝から晩までは「この学校を辞めたい!」と思いながら過ごしていた。でも、なんとかアメフト部の仲間や先輩のおかげで卒業することができ、そのおかげで今のつながりがあり、同期の頑張りを励みに自分も頑張ることができている。それが僕の財産だ。

仮にもう一度人生をやり直すことができるとしても、僕は防大に行く。当時の第2志望の学校が今となっては第1志望の学校になっている。面白いものだ。やってみないと分からないことが確かにある。

塾生のみんなには、この先、自分の思い通りにいかない時はどうか学志舎塾長のことを思い出して欲しい。すぐに気持ちの切り替えなんてできないかもしれないけれど、あとで必ず僕が言っていたことはウソではなかったとわかる時が必ず来る。学志舎の先生たちはウソをつかない。それは君たちが一番よく知っているはずだ。本音で向き合ってきたからこそ、君たちも僕たちを信じて、ここまで頑張ってきたのだから。だから、シンドイ時は僕の第2志望の人生の話を思い出し、また次の目標に向け前へ進んでもらえると嬉しい。

2603 月

先ほど外に出て、月を眺めた。当たり前だが、月はものすごく遠くにある。もし、月から地球の僕を見たら、全く視認できないほどちっぽけな存在になる。今、僕が抱えている悩みも自分では大きいものだと思っていても、実際はちっぽけなものなのかもしれない。そんな風に考えてみると幾分、心が軽くなる。そう、ぜひ、春休みには遠出をしてもらいたい。山頂からの景色を楽しんだり、壮大な海を眺めたりして、自分がちっぽけな存在で地球に生かされていることを考えて、その中で自分なりに精一杯できるものがあればいいな、なんて考えてみて欲しい。

自分のエネルギー補給の方法を探索するのをお勧めする。僕にとってのエネルギー補給はイノシンの存在であり、彼のことを思い出して、また頑張っていく。イノシンはずっと見守ってくれている。そう思って僕は今日も生きていく。

2603 八幡神社
前列真ん中がお母さん。向かって右隣が塾長。

この記事を書いた人

【膳所高校→防衛大学校→海上自衛隊→リクルートエージェント→学志舎2010年創業】海自とリクルートで培った「やりきる力」と「人の心を動かす力」を武器にエネルギー溢れるアツイ授業を展開。関西弁で入試問題にツッコミを入れながらテンポ良く進める授業で塾生達の頭をフル回転状態に。内申10upや逆転合格を生み出す教育法は親御様から「学志舎マジック」と呼ばれる。たった1人で塾運営していた最後の年(2017年)には小5から中3まで200人以上の塾生の全授業を担当。日比谷・西・国立に計14名が全員合格となり業界で話題となる。過去8年間で都立高校に541名が合格。そのうち西103名・国立49名・立川38名・新宿26名・駒場35名・武蔵野北38名・豊多摩43名・調布北41名と難関校・人気校受験で都内トップクラスの実績を残す。特に推薦入試の合格者179名は他塾を圧倒する結果に。さらに都立中入試でも24名合格(2026年)と「都立に強い塾」として不動の地位を確立する。卒塾生の親御様は「都立を目指すなら学志舎一択」と口を揃え、「広告なし・営業なし」にも関わらず、口コミや塾生の兄弟姉妹から年間509件のお問い合わせを頂く。受験の前に礼儀、姿勢、周囲への感謝の心を大切にする、今、「親が最も通わせたい塾」【趣味】テニス

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