合格体験記(2022年 都立立川高校:Sくん)
布施塾長、村岡教室長、約1年間お世話になりました。私が学志舎に通うことで本気で物事に取り組む、ということを学ばせていただきました。私が入塾したての頃は受験というものに本気になれておらず、なんとなくの志望校と気持ちで学志舎に通っていました。しかし、夏休みになり、昼休憩の間も勉強を続ける塾生の姿を見て私自身も徐々に受験というものに本気になっていきました。そして、それまで曖昧だった志望校も国立高校と決めて約半年間戦い抜くことを心に決めました。
そうしてむかえた1度目の都立自校作成もぎ、自分ではかなり努力したつもりでしたが、結果は振るわず国立高校E判定、そして後に入学することになる立川高校もC判定でした。学校で共に自校作成高を目指す友達はA判定やS判定をとっていたこともあり、とても落ち込みました。しかし、落ち込むと同時に今までの勉強を客観的に見つめ直すことが出来ました。そして、自分の得意教科である数学の勉強時間が多く、苦手教科の英語、そして理科、社会の勉強から逃げていることを自覚しました。また学志舎へ行く時間も遅すぎることに気が付きました。中間試験が始まることもあり、私の勉強への意欲は上がっていき、土日の学志舎のオープン時間以外は近所の図書館の自習室へ通うなどいち早く成績をあげようと思いました。
しかし、中間試験では思うような結果がでませんでした。そして、私はその原因をスマホだと気づき、スマホの使用を制限することにしました。そうすると都立自校作成もぎの結果も上がっていき、期末テストでは9教科で学年5番以内に入るなど自分の努力が実を結ぶようになりました。そして、そのまま努力を続け、内申は38から40まで上がり、都立自校作成もぎでは国立高校の基準点-1点まで上げることこが出来ました。私はこのまま努力を続け2月21日に自分の全てを国立高校にぶつけるつもりでした。しかし、私の両親はA判定である立川高校へ受験することを勧めてきました。私と両親は何度も話し合い、一度は国立高校への受験を決めましたが、出願倍率が1.5倍を超えていたため最終的には立川高校へ受験することになりました。
私は立川高校に合格できてとても満足しています。しかし、共に国立高校を目指していた学校の友達が合格しているのを見ると自分も受かっていたのではないか、と後悔してしまうこともあります。もし、この文章を読んで下さっている学志舎の生徒の方にはぜひ、早いうちから本気になって欲しいです。そして、判定に左右されず自分の志望校へ受験してほしいです。と、ここまで私自身のことについて書いてきましたが、この結果は私一人では到底届かなかったものです。布施塾長、村岡教室長はじめ学校の友達、そして両親に支えられたからこその結果だと思います。私の心に残っている言葉に11月頃に布施塾長が語られた「チャレンジャー精神を持とう。そしてチャレンジャーとしてふさわしい行動をしよう。」というものがあります。この言葉は私の緩みかけていた心をいつも立て直し、毎日学志舎に通う元気と勇気をくれました。そして、国立高校から立川高校へと志望校を変えた時も傲慢にならず謙虚に勉強を続けられたのもこの言葉のおかげです。
また村岡教室長の「一喜一憂の憂を大切にしよう。」という言葉も忘れられない言葉の一つです。模試の結果が思うように行かなかったときは、我慢をするのではなく、部屋で1人泣いていたこともありました。しかし、そのことがあったからこそ、二度とそんな思いをしたくないと逆に大きく成長できたと思います。自分の中学3年生のときを振り返っても受験という見えない敵と長時間戦い続ける日々はとても苦しかったです。しかし、どんな過ごし方をしていても2月21日は必ずやってきます。その日までにしっかりと準備をして自信を持って受験に臨んで下さい。応援しています。